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なかの きんじろう

中野金次郎

なかの きんじろう

1882.5.20(明治15)〜 1957.10.30(昭和32)

大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 6区 1種 9側

 福岡県若松出身。1895(M28)小学校卒業後、石油などを行商して歩き、1897筑豊鉄道に給仕として就職。 1905叔父の会社である巴組の肥後・門司支店を引き受け海運業に乗り出した。'20(T9)内国通運相談役、'23専務取締役に就任し、経営の立て直しにをはかった。 '24社長に就任。'28(S3)通運業界大合同の橋渡しを行ない、国際通運を設立して社長となったが、'37同社を含め7社が合併し「日本通運」が設立されたため社長を退いた。 '44海上火災保険4社の統合を行ない、興亜海上火災運送保険を新たに設立、社長となった。戦後、公職追放となり、解除後の'51巴組汽船を「中野汽船」に改組、社長に就任した。 財界でも活躍し、日本工業倶楽部評議員、東京商工会議所副会頭などを歴任。村田弘著作の『中野金次郎伝』(1957)がある。享年76歳。

<コンサイス日本人名事典>
<森光俊様より情報提供>


*墓石正面は「中野家之墓」。戒名は覚證院釈至誠顕道大居士。


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