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きまた きょくすい

木俣曲水

きまた きょくすい

1877(明治10)〜 1937.10.20(昭和12)

明治・大正・昭和期の書家、教育者

埋葬場所: 21区 1種 31側

 長野県出身。本名は波男。曲水は号。書を日下部鳴鶴、小野鵞堂について学ぶ。1901(M34)文検(旧制の文部省教員検定試験)に合格し、岡崎師範学校、東京府立第二中学校、女子美術学校などに奉職し教壇に立った。
 国華会を主宰し、明治・大正・昭和初期を代表する書家、浅見喜舟・板倉花巻・小谷碧洞らと共に全国各地を訪れ、文検受験者の指導に力を尽くした。機関誌「習字」「手本」などを発行し、文検指導で名を馳せる。
 また、'30(S5)書道団体の泰東書道院が結成されるや総務や審査員となり、数多くの手本を出版した。仮名の書家である。享年60歳。

<茂原市立美術館 所蔵作家略歴>


墓所

*墓石は洋型「木俣家之墓」、裏面「昭和十二年 木俣はま 建之」。右隣りに標石「長野県士族 木俣家先祖累代之霊」、裏面「昭和五十四年七月 木俣大典 建之」。墓所右側に墓誌が建つ。墓誌には俗名が刻んでいないが、木俣曲水の戒名「華陽院寛誉崇山曲水居士」から刻みが始まる。妻の はま(S42.8.5歿)の戒名は「廣済院妙譽波摩榮寿大姉」。長男の木俣大典の戒名は「智教院釋典道居士」。木俣大典は父と同じく書家であり、習字研究の國華会で活躍した。

*墓所と同じ列の端に多磨霊園の碑石形像のひとつである「木俣曲水頌徳碑」が建つ。頌徳とは徳をほめたたえることであり、建立者は浅見錦吾である。浅見錦吾は浅見喜舟という名(錦吾が本名で喜舟が号)で木俣曲水を師として活動を共にしていた人物である。



第533回 文検指導で名を馳せた書家 曲水木俣先生頌徳碑 木俣曲水 お墓ツアー


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