*墓石は洋型「木俣家之墓」、裏面「昭和十二年 木俣はま 建之」。右隣りに標石「長野県士族 木俣家先祖累代之霊」、裏面「昭和五十四年七月 木俣大典 建之」。墓所右側に墓誌が建つ。墓誌には俗名が刻んでいないが、木俣曲水の戒名「華陽院寛誉崇山曲水居士」から刻みが始まる。妻の はま(S42.8.5歿)の戒名は「廣済院妙譽波摩榮寿大姉」。長男の木俣大典の戒名は「智教院釋典道居士」。木俣大典は父と同じく書家であり、習字研究の國華会で活躍した。
*墓所と同じ列の端に多磨霊園の碑石形像のひとつである「木俣曲水頌徳碑」が建つ。頌徳とは徳をほめたたえることであり、建立者は浅見錦吾である。浅見錦吾は浅見喜舟という名(錦吾が本名で喜舟が号)で木俣曲水を師として活動を共にしていた人物である。