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きくち ともお

菊地友雄

きくち ともお

1917(大正6)〜 1989.1.4(昭和64)

昭和期の実業家(写真・映像)

埋葬場所: 19区 1種 8側

 曽祖父の菊地新学はわが国写真界の開祖の一人であり、山形に菊地写真館を開設した人物。祖父はその写真館を継いだ菊地宥清。 父の菊地東陽(同墓)はニューヨークで写真を修め、感光乳剤の製法を完成させ、わが国で最初の写真工業であるオリエンタル写真工業(株)を設立した。 父がニューヨークでキクチスタジオを開設し、写真館経営と研究に没頭しているときに誕生した。友雄誕生の翌年に帰国し、オリエンタル写真工業を日本で創立している。友雄が22歳の時に父とは死別。
 世界初となるスクリーン上で昼光色に色温度変換するビーズスクリーン(昼光色温度変換スクリーン:ブルーベースビーズスクリーン)の発明に成功し、1958.7(S33)資本金200万で株式会社キクチ科学研究所を設立し社長に就任。この発明は東京都の発明奨励賞を受賞し、'59より発売を開始した。
 '70大阪万国博覧会で大型スクリーンがリコー館にて白昼野外の巨大な映像用スクリーンを納入・採用。'79高輝度スクリーン(スーパーワイダー)を開発し、ハイビジョン用スクリーンとしてNHK技術博にて採用される。 '83ソニー(株)がOEMとしてビーズスクリーンを採用するとともにビデオシアター用としても展開。'85筑波万国博覧会では、政府テーマ館、政府歴史館、自動車館、電通INS館など17のパビリオンでスクリーンを納入した。
 '81から日本写真学会 学会賞のひとつに「東陽賞」が設置され、賞の副賞のスポンサー支援を行った。享年71歳。

<キクチ プロフェッショナルスクリーン システムカタログなど>


*墓石に「菊地東陽之碑」。右側に墓誌がある。戒名は照観院浄岳雄道居士。


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