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きくち さんさい

菊池山哉

きくち さんさい

1890.10.29(明治23)〜 1966.11.17(昭和41)

明治・大正・昭和期の郷土史家

埋葬場所: 9区 1種 1側

 名を武治、号を山哉と称す。東京府府中町字新宿出身。 工手学校で土木を専攻し、東京府庁、東京市役所等に奉職、後独立して事業を経営する。
 1912(M45)東京人類学会、歴史地理学会、考古学会等に入会し研讃を重ね、その研究を各誌界に発表した。 特に考古学、民俗学に博識がありもって一家を成す。 '23(T12)「穢多族に関する研究」、'27(S2)「先住民族と賎民族の研究」を出版、'33「多摩史談会(後に東京史談会と改む)」を創立する。 '35「沈み行く東京」を出版する。'43推されて東京市議会議員に当選し深川地盤沈下問題を提起して活躍その成功を見る。
 '56府中市文化財専門委員会議長、続いて府中市史編纂委員副会長、監修者に推さる。 沈み行く東京と共に代表作とされている「蝦夷と天の朝の研究」「別所と特殊部落の研究」、「東国の歴史と史跡」等を発刊している。 山哉は郷土史研究家として猿渡盛厚と共に双壁とされ、郷土に残した足跡は大きかった。

<多摩の人物史317頁>
<五輪塔様より情報提供>


きくち さんさい 墓所

*墓所入口正面は五輪塔が建ち、それを取り囲むように代々の小墓が建つ。五輪塔の右手側に、「菊池山哉之墓」が建つ。 墓石の手前に菊池山哉の墓誌碑。戒名は寿照院史山晃哉居士。その右側に「菊池家之墓」と墓誌がある。


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