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きど ただひこ

城戸忠彦

きど ただひこ

1881.8.25(明治14)〜 1971.4.26(昭和46)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(機関少将)

埋葬場所: 19区 1種 8側

 福岡出身。1904.2.29(M37)海軍機関学校卒業(12期)。卒業後、敷島乗組となり、同.9.10少佐機関士として済遠乗組となる。その後、佐世保鎮守府附、高千穂乗組、佐世保水雷団附、第13艇隊附、村雨乗組、第13駆逐隊附、卯月乗組を経て、'07.7.10水雷校学生となった後、音羽分隊長心得、香取分隊長心得を歴任し、'08.9.25大尉に昇進、香取分隊長となった。
 '09.12.8呉工廠造兵部部員、呉工廠水雷部部員 呉工廠検査官/水雷部部員、舞工廠造兵部部員/検査官を務め、'12.3.27伊吹分隊長に就任した。同.12.20(T1)横工廠艤装員を挟み、'13.9.20比叡分隊長を兼務。翌年より、舞工廠造兵部部員/検査官、呉鎮守府附、呉工廠艤装員、'14.12.1少佐になり、'15.2.26扶桑分隊長を兼務後、'15.8.2海軍大学選科に入った。'16.6.15艦政局局員(一課)、'18.12.1中佐、'19.7.20技本部員(三部)、同.12.5造兵監督官を兼務。'20.7.5英国に出張し造兵監督官、'22.2.15帰朝、同.5.23 艦本部員(一部三課)、翌年軍需局局員(一課)を兼務した。
 '23.12.1 大佐に進級し、'25.2.2呉工廠水雷部部員を経て、同.12.1米国出張し造船造兵監督官、'27.4.5(S2)艦本造船造兵監督官を務めて、同.10.10帰朝。'28.2.1呉工廠電気部長に補され、同.12.10少将に昇格、'29.11.30艦本出仕となった後、'30.6.10待命、同.6.20予備となった。'39.8.25後備、'41.4.1再び予備を経て、'44.4.1退役した。
 山本五十六(7-特-1-2)連合艦隊司令長官とは親交が厚く、山本五十六の最後の信書(絶筆とされる)を受け取った相手としてしばしば取り上げられることが多い。従4位 勲3等。享年89歳。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧など>


*墓石は洋型「城戸家墓」。墓誌があり「海軍少将 従四位 勲三等」の刻みも見れる。妻はシゲ。

*甥(兄の子)に東京大学名誉教授の西洋史学者の城戸毅、慶応大学商学部教授の城戸喜子がいる。


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