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かわしま しんいち

川島震一

かわしま しんいち

1897(明治30)〜 1987.6.24(昭和62)

大正・昭和期の内科医学者

埋葬場所: 3区 1種 34側

 東京都出身。父は陸軍軍医総監の川島慶治・貞子(共に同墓)の長男。
 1923(T12)東京帝国大学医学部卒業し、付属病院稲田内科に入局。'28.6(S3)欧州に医学研究のため渡欧。前半はローマ、スイス、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、ドイツ、イギリスで病院管理を視察。翌年「糖排泄閾に関する研究」 (独文)で医学博士。後半はアメリカに入った。
 '30.2帰朝し、日比谷の胃腸病院副院長に着任。'32.8胃腸病院長に昇進(後に名誉顧問)。陸軍航空工廠顧問を務める。戦後は、'53.4日本消火器病学会理事長に就任した。'54.10川島胃腸クリニックを開設。'66.9第3回世界消火器病学会を承知して東京にて開催。'67.4日本消火器病学会名誉会長に補される。'74.4勲2等瑞宝章受章。消火器学会のリーダーとして活躍する一方で、オリンピック委員、ロータリアン、美術愛好家としての顔もあった。著書に『消化器病診療の実際』(1960)がある。

<『日消誌』哀悼の記「故 川島震一先生を偲んで」>


*墓石は和型「川島家之墓」。右面に「陸軍軍醫監 正四位 勲二等 川島慶治」、享年は八十三才と刻む。妻は貞子(テイ 1875-1945.3.25)。同郷の栃木の飯沼熊太郎の三女。左面に川島慶作と、千葉医大を卒業するも徴兵されニューギニアで戦死した慶治の三男の川島達雄が刻む。裏面は慶治の長男で内科医学者の川島震一、震一の妻の敦子(1907-1996.4.7)と二人の長女の逑子(1928-2016.1.28)が刻む。敦子の父は平山胃腸病院長、日本消化器医学会会長、日本医大理事の平山金蔵でありその二女である。


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