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かわしま けいじ

川島慶治

かわしま けいじ

1869(明治2)〜 1951.9.8(昭和26)

明治・大正期の陸軍軍医監(少将)

埋葬場所: 3区 1種 34側

 栃木県出身。1896.6.15(M29)大地震により東北・三陸地方を襲った大津波「明治三陸大海嘯」の3日後、宮城県の避難地域へ医者として入り救護活動を行う。
 1911.1.15ドイツ駐在から帰朝し、陸軍軍医学校附となり精神病学講義を担当。翌年、『軍医団雑誌』第29号にて「新兵ノ精神状態検査ノ要義」を執筆。兵隊の精神病に関する第一人者的な役割を担う。'12.9.28(T1)陸軍二等軍医正から陸軍一等軍医正となり、東京第一病院長 兼 軍医校教官となる。
 '16.11.15陸軍軍医監(少将)に昇進し、近衛師団軍医部長 兼 臨時脚気病調査会委員に就任した。'18.4.11兼務を解かれ、同.12.13第4師団軍医部長に任ぜられた。'20.10.26待命、'21.2.1予備。退役後は青山内科内科医として活動した。医学博士。正4位 勲2等。享年82歳。

<帝国陸軍将軍総覧>


*墓石は和型「川島家之墓」。右面に「陸軍軍醫監 正四位 勲二等 川島慶治」、享年は八十三才と刻む。妻は貞子(テイ 1875-1945.3.25)。同郷の栃木の飯沼熊太郎の三女。左面に川島慶作と、千葉医大を卒業するも徴兵されニューギニアで戦死した慶治の三男の川島達雄が刻む。裏面は慶治の長男で内科医学者の川島震一、震一の妻の敦子(1907-1996.4.7)と二人の長女の逑子(1928-2016.1.28)が刻む。敦子の父は平山胃腸病院長、日本消化器医学会会長、日本医大理事の平山金蔵でありその二女である。

*慶治と貞子は3男3女を儲ける。長女の蓁子は山川章太郎に嫁す。長男の川島震一(同墓)は内科医学者、次男は健吉、三男の達雄は戦死。次女の瑩子は東大医学部長の柿沼昊作に嫁す。三女の淑子は日本医科大教授の松倉三郎に嫁す。


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