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かわむら しげもと

河村重幹

かわむら しげもと

1884.4.10(明治17)〜 1937.8.26(昭和12)

明治・大正。昭和期の海軍軍人(少将)、潜水艦隊の猛

埋葬場所: 21区 2種 9側 2番

 大分県出身。1905.11.28(M38)海軍兵学校卒業(33期)。同期に豊田副武(後の大将)、豊田貞次郎(後の大将)、小槙和輔(後に少将:12-1-1)らがいた。少尉少尉候補生として松島乗組、'06.8.30 春日乗組、同.12.20 少尉となり、常盤乗組。'07.4.5 八重山乗組を経て、'08.7.31 砲術校普通科学生になり、同.9.25 中尉、'09.1.20 次いで水雷校普通科学生として学び、同.4.30 佐世保海兵団附、同.9.25 霰乗組になる。'10.12.1 第1潜水艇隊附、'11.6.1 第2潜水艇隊附、同.12.1 大尉、'12.7.12 艦本艤装員、同.9.20(T1)第2潜水艇隊附を歴任し、'13.4.1 宇治分隊長に就いた。同.11.5 待命。同.12.1 水雷校特修科学生、'14.5.27 砲術校特修科学生として更に学び、同.8.15 第1潜水艇隊艇長、同.12.1 第2潜水艇隊艇長に就任した。
 潜水艦隊の猛として、'17.4.1 水雷学校教官を兼務し、同.12.1 少佐になり第4潜水艇隊艇長、'18.11.2 第13潜水艇隊艇長、同.12.1 教育本部第2部員、'20.3.1 兼 海軍大学校教官、'21.9.1 造船造兵監督官を務めた。'21.12.1中佐に昇格し、10艦政本部第3部員、'22.12,1 兼 海軍大学校教官も務め、'23.4.1 兼 教育局第2課員、同.10.15 欧米各国に出張し、'24.8.9 帰朝した後は、同.12.1 第6潜水隊司令を任ぜられた。
 '25.12.1 大佐に進み、'26.1.20 第26潜水隊司令、同.12.1 対馬艦長に就任した。'27.3.1(S2)横須賀鎮守府附、同.5.16 艦本出仕、同.12.1 第18潜水隊司令を経て、'28.12.10 迅鯨艦長に着任。'29.10.3 横須賀鎮守府附、'31.6.1 待命、同.12.1 少将に進級し予備役となった。享年53歳。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧>
<日本陸海軍総合事典>


*墓石は和型「海軍少将 従四位 勲三等 河村重幹之墓」、裏面に戒名と没年月日、行年、「昭和十三年八月建之 施主 河村一幹」と刻む。右側に墓誌が建つ。墓誌は重幹の妻のサク(T2.9.29歿・行年20才)から刻む。次に河村菱太郎重威(正六位勲四等:T6.1.8歿・行年64才:興嶽院洞水眞切居士)、重威の妻のサダ、次に河村重幹が従四位勲三等とともに刻む。戒名は慈航院殿忠譽重願大居士。行年は54才と刻む。後妻は幾佐(S53.3.27歿・行年86才)。長男は河村一幹(S18.12.22歿・行年31才)。他に河村良幹(S51.12.15歿・行年52才)、良幹の妻の繁子(R2.1.13歿・行年90才)、河村光幹(H23.6.19歿・行年90才)も眠る。なお、墓誌の裏面に「昭和五十三年五月十三日 河村光幹 建之」と刻む。


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