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かわむら あきよし

川村明義

かわむら あきよし

1919.9.2(大正8)〜 2006.6.9(平成18)

昭和・平成期の免疫学者

埋葬場所: 19区 1種 10側

 新潟県新潟市出身。新潟医科大学教授でツツガムシ病(恙虫病)研究で著名な病理学者の川村麟也(同墓)の3男として生まれる。兄二人が早死したため家督を継ぐ。
 新潟中学校、新潟高等学校を経て、1945.9(S20)千葉医科大学卒業。同.10 東京帝国大学伝染病研究所第二研究部に入所し、次いで、'49 東京大学伝染病研究所第五研究部にて田宮猛雄の助手となる。
 '51 高知県の風土病「土佐のほっぱん」の調査をしていた同僚の佐々学が持ち帰ったサンプルのトサツツガムシの幼虫からリケッチアを検出し、「土佐のほっぱん」はツツガムシ病であることを特定した。'52 ツツガムシ病リケッチアの実験中に感染したが回復した。'55 七島熱の総合的研究で第7回保健文化賞受賞。
 微生物などを蛍光色素で着色して蛍光顕微鏡で観察する免疫蛍光法を確立して普及させた。また、リケッチア症や上咽頭がんの原因と考えられるEBウイルスの研究でも功績を上げた。'58 リケッチアの精製に関する研究で東京大学伝染病研究所宮川賞受賞。
 '59.7 東京大学伝染病研究所第二細菌研究部の助教授になり、山本郁夫を師事。'71.4 東京大学医科学研究所免疫学研究部教授に就任。'72.12 第2回 松橋直と日本免疫学会総会会長。'80.3 東京大学を停年退官し、名誉教授。
 '89(H1)免疫蛍光法の確立と普及の功績により第33回野口英世記念医学賞受賞。'96 ツツガムシ病の研究で第1回千葉大学医学部ゐのはな同窓会賞を受賞した。享年86歳。従4位 瑞宝小授章追贈。

<日本近現代医学人名事典>
<現代物故者事典>
<人事興信録>


墓所 碑

*墓石前面「川村家之墓」。墓所右側に「川村麟也之碑」が建つ。墓石の裏面は墓誌となっている。川村麟也から刻みが始まる。母は れい(礼子:M16.3-S45.10.18)。兄弟は3男3女で長兄の川村直道(T4-S16:同墓)は21歳で没し、次兄も早死(同墓)、川村明義は三男であるが家督を継ぐ。戒名はない。明義の妻は玲(H22.2.28歿・86才)。なお、姉は長女は惠津子(T3.2生)、二女は美譽(T5.10生)、三女は千代子(T10.11生)。


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