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かわもと ぶんいち

河本文一

かわもと ぶんいち

1882.12(明治15)〜 1960.2.22(昭和35)

明治・大正・昭和期の大蔵官僚、枢密顧問官

埋葬場所: 12区 1種 24側

 山口県美祢郡岩永下郷村(美祢市秋芳町)出身。河本勝の4男。先代の河本兵四郎の養子となり、1922(T11)家督を相続す。
 山口高等学校を経て、1907.7(M40)京都帝国大学法科大学経済学部卒業。翌月、大蔵省に入省し税務監督局税務属 兼 大蔵属・東京税務監督局・参事官付に配属される。'08.11 文官高等試験合格。'09.11 税務監督官補・宇都宮税務監督局経理部長。'10.5 税務監督官・秋田税務監督局、'12.6 税務監督局事務官・仙台税務監督局直税部長、'16.1(T5) 熊本税務監督局直税部長、同.2 間税部長を兼務、同.12 税務副監督官・札幌税務監督局間税部長 兼 艦定部長事務取扱、'17.9 広島税務監督局経理部長事務取扱、'18.6 大蔵書記官・主計局臨時官有財産課長、'22.4 臨時国有財産整理部書記官・同部総務課長、'23.4 国有財産整理局書記官を務めた。
 '24.3 大蔵省参事官 兼 臨時営繕局書記官・臨時営繕局総務部長心得を経て、会計検査院に転じ、同.6.6 会計検査院第二部第三課長、'26.3 第二部第四課長、会計検査官懲戒裁判所豫備裁判官に任ぜられた。'28.2(S3)第二部第三課長、'32.1 第三部長、'34.2 第一部長、'38.2 第二部長、鉄道会議議員などを歴任し、'41.10 会計検査院長に就任した。
 戦後、'46.6〜'47.5 枢密顧問官に就任し枢密院が廃止されるまで在任。'48.9〜'49.5 会計士管理委員会委員長を務め、'50.4〜'53.3 公認会計士管理委員会委員長を務めた。正3位 勲1等瑞宝章。享年77歳。

<大蔵省人名録>
<人事興信録>


*墓石は和型「河本家之墓」、裏面「昭和三十三年十二月 河本文夫 建之」。右側に墓誌が建つ。墓誌に最初に河本家に関してと文一の簡略歴が刻む。河本文一から刻みが始まる。妻のハツノ(M21.8-S53.11.11)は藤村文蔵の長女。二人の間には3男2女を儲けており、男子3名はこの墓に眠る。長男は河本文夫(M42.8-S45.6.8)、二男は河本隆男(M44.10-S63.7.8)、三男は河本國雄(T10.8.1-H23.9.25)。長女は静子(T2.9生)、二女は和子(T5.10生)。

*三男は河本國雄は第一証券や平和不動産の社長を務めた。


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