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かわかみ まさお

川上政雄

かわかみ まさお

1903(明治36)〜 1958.1.22(昭和23)

大正・昭和期の歯牙解剖学者、歯科補綴学者

埋葬場所: 11区 1種 3側

 1920(T9)東京帝国大学卒業。卒業後すぐ文部省歯科医師開業試験附属病院で歯科を専攻。ドイツ留学を経て、'28(S3)官立で最初の歯科医師養成学校である東京高等歯科医学校教授となる。'44東京医学歯学専門学校(東京医科歯科大学)と校名が変更。歯の解剖学・補綴学(ほてつがく)教授として、金森虎男らと複数の教室を担当。また橋田教室で生理学の研究をし論文を発表していた。医学博士。
 '42.10「臨床歯科」にて『醫師・齒科醫師一元論に就て』を発表。この論文にて「全国3万の歯科医師を擁して、歯科医術は普及し、量に於てすでに飽和点に達したかと思わるるまでに到ったが一面皮肉にも歯牙疾患は年々累増の一途をたどりつつある事実は、今日歯科医術は果たして国民の体位向上に寄与するや否やの疑問を不可からしめる。」「国民保健に寄与しうる歯科医人の育成に就き、教育者の協力を仰ぎ、速やかに対策を樹立するよう、歯科為政者――すなわち日本歯科医師会に要請するのである。」と、歯科界の社会性のなさ、ひいては日本歯科医師会の無責任さ、法に規定される歯科医師の職能の狭さがしからしめたものと歯科界の批判・問題定義を行った。これを機に日本の歯科界の論争へと発展し変革のきかっけとなったが、渦中の川上政雄本人は悲運にも結核を患い、志半ば逝去。享年54歳。
 妻は東洋女子歯科医学専門学校附属病院長を務めた川上みね(同墓)。子の川上道夫(同墓)は東北大学歯学部名誉教授・歯科理工学者。道夫の妻の舜子の父は医歯薬出版創業者で日本歯科医史学会創設メンバーの今田見信。東京医学歯学専門学校初代校長の島峰徹と今田家は縁戚関係。


墓所

*墓所入口右側に「川上家」墓柱。正面五輪塔。左側に墓誌がある。戒名は弘濟院仁岳雄道居士。


【歯科補綴学(しかほてつがく)】
 歯科治療における補綴(ほてつ)とは、歯が欠けたり、なくなった場合にクラウンや入れ歯などの人工物で補うことをいう。また歯や関連組織の欠損によって生じる顎口腔系の機能障害、審美性を回復することを目的とする学問であり、臨床歯科医学の一分野である。


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