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かわい したろう

河合し太郎

かわい したろう

1865(慶応1.6.16)〜 1931.3.14(昭和6)

明治・大正・昭和期の林学者(森林利用学)

埋葬場所: 7区 1種 11側 26番

 愛知県出身。士族の河合堅造・雪子(共に同墓)の長男として生まれる。号を琴山。1890(M23)東京帝国大学農科卒。 1897(M30)助教授に任じ、1899林学博士の学位を受ける。同年、森林利用学研究のため独・墺に留学。 1903帰朝後は東京帝大農科教授に任じられ、1882(T15)4月に辞任。 後藤新平の台湾民政長官時代に招かれて渡台し、阿里山に森林鉄道を敷設して開発の端を開く。 学問的関心が広く、漢学及びドイツ語に堪能で文才があり、晩年には哲学も研究。 また林学の方面では第一流の人物であったが、山林史に興味を持ち、日本山林史の研究により、日本の林学の基礎を開くことを主張した。 著書に『測量学』『木材識別法』があり、後者はこの種のものとしてはわが国最初の好著である。享年65歳。

<平凡社『日本人名大事典』>
<講談社日本人名大辞典>
<MATSU様より情報提供>


墓所

※河合し太郎の「し」は、「金+市」です。琴山河合とする人名辞典もある。

*墓所には計5基の墓石が建つ。正面は洋型「市河家」の墓石。この墓石を挟んで、右側に「河合(金+市)太郎墓」、左側に「妻 保子墓」が建つ。 河合し太郎の孫娘であるサダヲが生理学者の市河三太に嫁ぎ、市河家が墓所を継承したと推察する。市河家の墓石は平成元年二月に市河三太・サダヲが建之。墓所右手側に「河合堅造 / 同 雪子 之墓」(河合し太郎の父母)が建つ。 墓所左手側に児玉周一(1892-1976)・児玉阿里(1904-1969)の洋型墓石が建つ。前面に二人の名前の他「自然に生を受け 結ばれて五十年 隣人愛に孚なれつ 再び自然の懐に還る」と刻み、裏面には「天ハ生ヲ人ニ与ヘ 地ハ還しル者ヲ抱ク」と刻む。

*台湾の阿里山には「琴山河合博士族功碑」が建つ。


市河三太 いちかわ さんた
1921(大正10)〜 ご健在
昭和・平成期の生理学者
 東京府豊多摩郡原宿出身。1946(S21)東京慈恵会医科大学卒業。'52米国オハイオ州立大学医学部で平滑筋の電気生理学の研究。'57昭和医科大学(昭和大学医学部)教授。
 '60年米国ニューヨーク州ロチェスター大学医学部。'61研究副教授。同年、米国ニューヨーク州コーネル大学客員教授。'68米国ニューヨーク州立大学Upstate Medical Center客員教授。 '86停年により、昭和大学医学部教授、付属看護専門学校兼任講師、図書館長の職を辞す。昭和大学名誉教授。以後、横浜女子短期大学教授、松戸市立病院付属看護専門学校非常勤講師。 '90(H2)横浜女子短期大学客員教授。'91東京薬科大学、昭和大学薬学部兼任講師停年退職。'92相模女子大学学芸学部兼任講師。'93学校法人花田学園日本鍼灸医療専門学校非常勤講師。'95勲三等瑞宝章受章。 主な著書に、『三太雑記』『新版 図説生理学』『運動生理学』『運動生理学テキスト』『解剖生理学』など多数。


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