埼玉県出身。商船学校卒業後、出版業界に入り、平凡社専務を経て独立、非凡閣を創業した。作家の菊池寛(14-1-6-1)との親交がきっかけで競馬に興味を持ち、1934(S9)競走馬の馬主となった。
'39クモハタが東京優駿競走(日本ダービー)に優勝。'41ブランドソールが中山四歳牝馬特別(桜花賞)を制し、同年、セントライトが横浜農林省賞典四歳呼馬(皐月賞)、東京優駿競走(日本ダービー)、京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)を制して、日本競馬史上初のクラシック三冠馬となった。
'43グランドライトが帝室御賞典・春(天皇賞)で優勝するなど、数々の名馬を所有していた。自らが見識に基づき馬を購入し、持ち馬7頭が種牡馬になるなど高い選馬眼の持ち主であった。太平洋戦争の東京においての空襲の被害を受け戦災死。享年44歳。
*墓石は和型「加藤雄策之墓」。墓誌があり、俗名、没年月日、行年が刻む。妻はキヨ。
*1984年に制定されたJRA顕彰馬(殿堂入り)の第一回選出でクモハタとセントライトが選ばれた。
クモハタは'52〜'57種牡馬としてリーディングサイアーになっており、日本競走馬史上最初の内国産リーディングサイアーである。
仔馬のメイヂヒカリも四冠馬と活躍し親子で殿堂入りしている。余談では、セントライトの兄弟であるトサミドリも殿堂入りしている。
なお、2011年現在、JRA顕彰馬・殿堂入りした頭数は29馬である。競走成績:クモハタ(21戦9勝、獲得賞金74414円)、セントライト(12戦9勝、獲得賞金87400円)。
*関東競馬振興会は競馬の発展に貢献した加藤雄策を讃えて、春の東京に「加藤雄策賞」を設けるよう提案したが、競馬会は英国でも個人名を使った競走はダービー卿の名を冠したステークスの1つだけであるという理由で却下された。
検討の末、加藤の愛馬であり史上初の三冠馬(当時は日本唯一)のセントライトを讃える記念レースを創設することとなり、'47菊花賞の関東のトライアルレースとして「セントライト記念」が開催された。
2011年現在はアール・エフ・ラジオ日本が賞を提供しており、正式名称は「ラジオ日本賞 セントライト記念」と表記している。中山競馬場の芝2200mで施行する中央競馬の重賞(GII)競走である。