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かくらい あきお

加倉井秋を

かくらい あきお

1909.8.26(明治42)〜 1988.6.2(昭和63)

昭和期の俳人、建築家

埋葬場所: 26区 1種 37側

 茨城県出身。本名は昭夫。1932(S7)東京美術学校(東京芸大)建築科卒。建設会社数社を経て、'69(S44)武蔵大教授。'36(S11)より「あきを」の号で『馬酔木(あしび)』に投句。 '38「秋を」と改め『若葉』に投句、以来、富安風生に師事。戦後、安住敦らと俳句作家懇話会を結成、同人誌『諷詠派』創刊。結核自宅療養後の'55愛媛療養所機関誌『冬草』雑詠選者となり、'59より同誌を東京に引きとって主宰。 口語的破調によるモダンな作風から、古語の多用の時期を経て、晩年は身辺素材を率直に詠い、'85『風祝(かざはふり)』によって俳人協会賞受賞。 句集に『胡桃』(S23)、『欸乃(ふなうた)』(S49)、『隠愛(なびはし)』(S54)などがある。弟の加倉井和夫は日本画家(同墓)。

<現代日本朝日人物事典>
<MATSU様より情報提供>


碑 句

*墓石左側に加倉井秋を の句碑が建つ。この句碑は元々は、多磨霊園正門バス通り入口にある浄土宗 心行寺(府中市紅葉丘2-32-14)に建之されていたが、ご遺族の希望で墓所地へ移したものである。句には、『愛し きれぬ 間に 天道虫 掌より 翔つ秋を』と刻む。


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