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かじま えつ

鹿嶋ゑつ

かじま えつ

1880(M13)〜 1925(T14)

明治・大正期の芸妓

埋葬場所: 2区 1種 8側 50番

 東京出身。旧姓谷田。恵津、恵津子ともいう。東京新橋の玉の家抱えでぽん太と称す。 鹿島清兵衛に落籍され後に正式に結婚、妻となる。清兵衛は大坂の豪商鹿島屋の養子。 遊蕩ぶりで知られ、今紀文と呼ばれた。写真が趣味でぽん太をモデルにしたことから知り合っている。 やがて家産を蕩尽、小さな写真館を始めるがマグネシウムの事故で負傷、代わってゑつが長唄や踊りの師匠として生計を支え、 世人から貞女ぽん太と称えられる。清兵衛はこれも趣味の笛を深め、三木如月の名で能楽の笛を勤める。 1924(T13)夫の清兵衛が没し、後を追うように翌年他界した。享年45歳。 長男正雄は能役者、長女くに子は坪内逍遙の養女となった。

<大阪人物辞典294頁>
<五輪塔様より情報提供>


*現在、お墓は現存しますが、遺骨は2008年11月に改葬されました。清兵衛、ゑつは財団法人青葉園に、清三郎、ますは愛知県犬山市の瑞泉寺霊園に改葬されました。

<清三郎のひ孫様より情報提供>


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