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かがわ とみたろう

香川富太郎

かがわ とみたろう

1853.9.25(嘉永6.8.23)〜 1937.12.17(昭和12)

明治期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 15区 1種 8側

 安芸国(広島県出身)。広島藩学問所に学ぶ。1877.4.15(M10)草創期の陸軍少尉となり、西南戦争に従軍。1894(M27)日清戦争に従軍。1900(M33)北清事変(義和団事件ともいう。清朝政府が列強に宣戦布告し8ヵ国連合軍との戦争)に従軍。
 陸軍省事務局歩兵課長を経て、'01.3.21歩兵第48連隊長に就任し、同.11.3大佐となった。'04(M37)日露戦争に出征。旅団長は小泉正保少将。開戦後3ヵ月ほど経ち動員、同.7.3上陸、翌日より第2軍の戦闘序列入る。遼陽会戦、沙河会戦に参戦。旅順攻囲戦後、'05.1.14少将に進級し歩兵第24旅団長に昇格。日露戦争休戦後は大営盤に駐屯し、翌.5 凱旋した。
 '07.11.13歩兵第35旅団長に任ぜられ、'08.9.30歩兵第11旅団長を歴任した。'11.9.6中将に累進し、予備となった。正5位 勲2等 功3級。享年84歳。

<講談社日本人名大辞典>
<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧など>


*墓石は和型「香川家之墓」。裏面「昭和十三年八月建之」。墓誌があり、墓誌には「先祖累代之霊 昭和十三年九月 廣島市 常林寺 より 改葬」と刻む。香川富太郎には「陸軍中将 正四位 勲二等 功三級」の刻み有り。享年は八十五才と刻む。妻は いく。長男の行一、長女のてる は早死。墓誌の最後は「冬夫 妻 ひで」(S26.5.25、享年50歳)の刻みがあるが、それ以降の代々の刻みはなく、香川冬夫の刻みもないが同墓に眠られていると思われる。なお、香川冬彦はコムギなどの種・属間雑種に関する細胞遺伝学的研究で知られた農学者。


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