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ごとう もとはる

後藤元治

ごとう もとはる

1878(明治11)〜 ?

明治・大正期の陸軍軍人(大佐)、昭和期の実業家

埋葬場所: 21区 1種 25側

 鳥取県出身。父は陸軍少将の後藤常伴(同墓)。陸軍砲兵として様々な要職を経て、中佐の時に、1921.11.1(T10)航空第一大隊内に新設された初代 航空第三大隊長に就任した。'22.8飛行第3大隊に改称され、'25.5.1までその任を務めた。飛行第3大隊は飛行第3聯隊に改編される。この間、砲兵大佐に昇進。
 航空第三大隊は滋賀県東近江市の陸軍八日市飛行場に移駐していたこともあり、後藤は「隊員たちの安全と連隊の守護神」として、また当地の人々にも心の安らぎの場として、伊勢皇大神宮から御霊を奉し、'25衛戍神社を創祀。飛行場守護の神社として親しまれる。 衛戍(えいじ)とは当時の軍隊で呼ばれていた野洲、蒲生、神崎、愛知、犬上の5郡の地域名。'27(S2)衛戍神社は冲原神社と改名され現在に至る。
 軍人を退役後は、'33.2(S8)東京市桂原区小山町に自動車電装品の国産化を目的とし、資本金20万円をもって日満工業合資会社を創立し社長に就任。 磁石発電機 (マグネット) 、始動電動機 (スタータ) 、充電発電機 (オルタネーク) 等の製造・販売を開始した。'45.9社名を日興電機工業株式会社と改称。長男の後藤太郎(1908-1981.9.21 同墓)が後を継ぎ社長を務めた。

<鳥取県郷土人物辞典>
<冲原神社の由来(沿革)など>


*墓石は「後藤家之墓」。


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