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ごとう かずお

後藤一雄

ごとう かずお

1913.9.4(大正2)〜 1996.2.1(平成8)

昭和・平成期の建築構造学者

埋葬場所: 6区 1種 16側

 東京出身。祖父は理科教育の先駆者の教育者の後藤牧太(同墓)、父は建築家の後藤慶二、芳香(共に同墓)の長男として生まれる。
 成蹊高校を経て、東京工業大学卒業。そのまま大学に残り建築構造学を研究、教鞭をふるう。戦前から田辺平学らと共に木造建築の近代化を目指して研究に打ち込み、建築計画学を先導した。戦時中には「新興木構造」に連なる実験・開発に苦心。
 戦後は東京工業大学建築学科教授。東京工業大学建築材料研究所を拠点に木構造やコンクリート・プレハブによる量産住宅の研究に従事。'53法政大学助教授を兼任。'59伊勢湾台風による木造被害を調査。一貫して木造建築の研究に注力し続け、'68米国プレハブ工場視察団団長として現地視察をするなど、コンクリート・プレハブ住宅の開発に尽力した。停年退官し東京工業大学名誉教授。以後は名城大学教授を務めた。
 戦後の主な研究に、'47防火耐震度を目的とする組立式鐵筋コンクリート構造試案、'48 材端に拘束を持つ木造單一柱の挫屈試驗、'54木造重ねバリ設計法など木構造に関する研究、'65石綿スレートパネルの実験的研究、木造膠着重ね梁の研究、'66石コウ並に石コウボードの強度実驗、石膏ボードを用いた複合板の曲げ試験、'71量産住宅における大型プレキャストコンクリート壁パネルの生産工数に関する研究で住宅問題に警告。'77ネオ鉄セメントを使用したモルタルの強度性状・空気連行性・耐凍害性、'78金属構造におけるクギ接合に関する研究などである。「建築家への警告」と題した講演は有名。
 主な著書に『送風機工学』(1942)、『木構造の計算』(1956)、『建築用非鉄金属材料』(1974)、『住宅の工場生産』(1977)、『建築構造計算実例集』(土谷精一 共著:1982)、『図解建築構法』(武者英二 共著:1985)などがある。


墓所

*墓所には二基建つ。左側墓石前面「後藤牧太 節子 墓」。右側墓石前面に家紋と「先祖代々の墓」と刻む。右面にパウロ後藤一雄と妻の美代(1917.11.25-2012.2.5)にはマリア・ベルナデッタと刻む。


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