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ふたがみ ひょうじ

二上兵治

ふたがみ ひょうじ

1878.2.25(明治11)〜 1945.11.19(昭和20)

大正・昭和期の宮内政治家

埋葬場所: 26区 1種 37側

 富山県高岡市出身。1904(M37)東京帝国大学法科大学英法科卒業。 逓信書記官から転じて、'11枢密院書記官、'13(T2)枢密院議長秘書官、'14高等捕獲審検所事務官、'15行政裁判所評定官などを歴任し、'16〜'34(T5〜S9)枢密院書記官長となり、倉富勇三郎ら歴代議長の下で務めた。 在任中は政党の党利党略に対抗して枢密院の特権擁護のため画策、〈憲法の番人〉を自任する伊東巳代治の智謀と目された。 また、この間、'16帝室制度審議会委員被仰付、文官普通試験委員長、高等捕獲審検所検察官、'20法学博士、対独平和条約等締結並に大正四年乃至九年事件の功に依り勲2等瑞宝章授章。'24から貴族院議員に勅選される。
 '26帝室制度審議会委員及御歴代史実考査委員会委員の職を奉じ、尽力尠からず依て勲1等瑞宝章を賜わる。 大正天皇崩御に伴い、大喪使事務官、大正天皇霊柩供奉、大礼準備委員、大礼使参与官、親任官の待遇を賜わる。 '28(S3)大礼記念章、大礼行賞、'31帝都復興記念章、'34旭日大綬章を授与。'34書記官長辞任後は、平沼騏一郎(10-1-1-15)の議長昇任運動失敗の後の行政裁判所長官となる。 '39枢密顧問官となり、没するまで務める。同年、民法改正調査委員を嘱託。'40支那事変に於ける功に依り銀杯壱組を賜わる。 同年、紀元二千六百年祝典記念章授与。'41内閣に文官制度委員会が設置されて委員となる。正3位 従2位。享年67歳。

<コンサイス日本人名事典など>


*墓石には「二上兵治とその家族 ここに眠る」と刻む。墓誌もある。戒名は修徳院釋兵治。娘は防衛庁統合幕僚会議初代議長を務めるなど自衛隊の礎を築いた林敬三に嫁いだ。


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