《詳しい詳細は調査中》 日本基督教会の信徒伝道者・神学生として北海道で巡回伝道をした。1933.7.23(S8)発足した日本キリスト教会帯広教会の中会の応援や、北見教会の中会の応援をした。また20代の若さにして英米の神学者たちの贖罪論を批判的に整理して自分の考えをまとめた『贖罪論』を展開し注目される。 植村正久(1-1-1-8)の弟子で基督教伝道者の外村義郎(とのむら よしろう:1872-1939)の娘の光枝(同墓)と結婚。しかし、志半ば30歳という若さにて昇天。 没後、1937義父の外村義郎の編集で『基督の証者 : 福島春太郎小伝』が刊行された。1962妻の光枝が外村光枝名義で「月刊キリスト」にて手記『死をこえて愛は生きる――牧師の妻の秘めたる思い』を発表。これがきっかけで、福島春太郎の『贖罪論』が再び注目され、1963福島春太郎著の書籍として刊行された。
*墓所には三基。正面右に洋型「福島家 きよき岸辺に」、裏面「二○○一年七月吉日 福島春光 建之」。左に古い墓石「勝山家之墓」、裏面は墓誌となっており明治・大正に亡くなった方々の名がびっしり刻む。墓所左手前に「内山芳子之墓」、左面に「生野りさ之墓」、裏面は「友人一同建之」と刻む。福島家の墓の右側に墓誌があり、福島春太郎、(外村)光枝(H16.7.3 行年92)、福島春光(H21.2.17 行年72)の名が刻む。
【贖罪(しょくざい)】 広い意味では神の救済、償い、和解、ゆるしと同義であるが、キリストの生と死と復活を通じての、神の恩恵として実現される人間の罪からの解放と、これによってもたらされる神との交わりの回復をいう。 キリスト教神学ではこの贖罪は人間存在の根本的悪としての原罪からの解放であり、救済の条件であるとされている。しかしこれにあずかるには、通常洗礼を受け、キリストの神秘的生命と一体化する必要があると説かれている。
植村正久