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ふかさわ ゆきや

深澤幸也

ふかさわ ゆきや

1883.4.8(明治16)〜 1954.6.9(昭和29)

大正・昭和期の実業家(コトブキ)

埋葬場所: 22区 1種 5の2側

 山梨県中巨摩群藤田村宇藤田出身。秋山飛騨守光朝より十七代元亀年間藤田村に帰農せる深澤新四郎朝重の長子の深澤相右ヱ門光久より、十一代深澤忠成の次男として生まれる。
 県立甲府中学校を経て、第一高等学校に学び、1909.7(M42)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。つとに文化面に於ける洋家具の重要性を痛感し、'16.8(T5)東京の数寄屋橋で寿商店を創設。 グラスラッグという敷物や中国天津製絨毯の輸入販売を始める。'19寿商店を合資会社にし、東京市芝区(港区)にショールームを開設。
 '25連結椅子を開発して東京帝国大学安田講堂へ納入したことを皮切り、'28(S3)金属製学生机椅子の開発をして東京帝国大学法文経学部2号館教室に納入、'29日比谷公会堂が完成するや牛革を使用した連結椅子を納入、'34特許FK式単球回転イスの発明、販売をした。社業運営の合理化に力をそそぎ、発明考案の特許は百を越しこれらを実施化した。
 '47寿商店を株式会社とする。戦後復興にも一役買い、新橋演舞場、歌舞伎座、スバル座等に初の金属プレス製劇場用連結イスを納入し、'48極東駐留軍施設で連結椅子がブームとなった。 '50オートリターン式議場椅子を開発して東京都議会議場(旧都庁)に納入し、現在の議場家具のスタイルを確立するなど、わが卸産業文化面に寄興したる功績により朝野各方面より多数の評価を得た。享年71歳。
 没後は、長男の深澤朝幸(1939-1999.10.19 同墓)が寿商店(後のコトブキ)を引き継ぎ、文化教育、スポーツ等の公共空間のイスを中心とした施設家具を手がけ、パブリックシーティングの第一人者として、常に時代の新しい要求に積極的に取り組む「コトブキ」へと発展させた。なお、深澤朝幸の妻はピアニストの深澤亮子である。

<墓誌銘などより>


墓 深澤幸也家之霊域 墓所

*墓所入口右手に竹堂書の「深澤幸也家之霊域」とある石柱が建つ。墓所正面右手に五輪塔、左手に佛塔が建つ。佛塔の前面には深澤幸也の戒名「深穏院殿幸徳良仁清居士」と妻の輝の戒名が刻む。 佛塔の右面に深澤幸也と妻の輝の没年月日と行年が刻み、左面には建之者として深澤朝幸の名が刻む。 墓所左側には深澤幸也の七回忌に建立された深澤幸也の生い立ち・功績が刻む「墓誌銘」が建ち、右側には洋型で前面に「福澤家」と刻む墓石が建つ。 裏面は墓誌となっており、深澤幸也の長男でコトブキ会長を務めた深澤朝幸、翻訳家の福澤マーガレット・ベントン、その娘でカリスマモデルの絶頂期に膠原病による急性心不全で32歳の若さで没した深沢エリサ(墓誌には深澤絵里砂アン)の名が刻む。なお「福澤家」墓石の左側に「深沢エリサ此処に眠る」と書かれた墓標が建つ。


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