*墓石正面は「藤田家之墓」。裏面は「昭和三十年九月 藤田譲次 建之」と刻む。右側に墓誌があり十字を刻んで、俗名・没年月日・享年が刻む。その右側に十字を刻んで「歌碑」とあり、「『おどろくばかりの めぐみなりき 恵みの御神を たたえまつらん』讃美歌233(アメージング・グレース)より 平成26年10月 奉納 藤田明」と刻む。藤田明(2015.1.3歿 享年79歳 同墓)は譲次と君子の長男。
*藤田譲次の父の藤田譲が眠る藤田家代々の墓は同じ多磨霊園の1区1種1側にある。すぐ近くの1区1種2側に阿部泰蔵の墓も建つ。譲と泰蔵は明治生命保険会社の創立に尽力した人物。
*譲次の妻の藤田君子(1910.12.5-2009.12.18 同墓)は、永瀬家の三女として東京に生まれる。良家の出身で華道、茶道、舞踊の道を極め、師範となる。戦後すぐ女性としては数少ない航空機による海外渡航を経験。聖ヨハネ桜町病院にお世話になった事から、カトリック小金井教会の敬虔な信者となる。白寿を迎え長寿をまっとうした。享年99歳。
*「桜町市民いこいの家」(東京都小金井市桜町二丁目12番27号)は、藤田譲次・君子夫妻が生前住んでいた邸宅である。夫に先立たれたことで、君子は晩年は同市内のマンションで暮らしたが、同マンションに市社会福祉センター建設運動の当時の会長と親交を持ったことで、福祉センターとなる場を探していることを知り、「(自宅)を市民に利用してほしい」と遺書を残した。没後、遺言通り、藤田夫妻より社会福祉法人小金井市社会福祉協議会に建物と庭園が遺贈され、地域住民の「いこいの家」として2012年4月にオープン。現在は地域の高齢者の利用、趣味のサークル、育児中の母親たちの集まりなどに利用され、常に7割予約で埋まるほど地域住民の憩いの場として活用されている。