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ほしの やすのすけ

星野靖之助

ほしの やすのすけ

1899.1.1(明治32)〜 1988.10.8(昭和63)

昭和期の実業家(三井)、政治家

埋葬場所: 13区 1種 45側

 大分県出身。星野太三郎(同墓)の長男として生まれる。1925(T14)慶應義塾大学経済学部卒業し、三井鉱山に入社。'27(S2)三井合名会社に転じ、三井総元方情報主任となり、その傍ら、司法省刑事局嘱託、内務省警保局嘱託を務めた。
 '42.4.30第21回衆議院議員選挙(翼賛選挙)に翼賛政治体制協議会の推薦を受け北海道4区から出馬して当選(1期)。戦時中の日本において翼賛政治会総裁秘書、小磯内閣で小林躋造(10-1-3)国務大臣の秘書官、行政査察使随員、幣原内閣で海軍参与官、第二復員参与官などを歴任した。
 戦後、公職追放され、'48.5.1三井建設(三井建設工業)の副社長に就任し、翌.6.10社長に就任。'52公職追放解除後、三井建設社長を退任し、第25回衆議院議員総選挙に前回当選した北海道4区から無所属で立候補したが落選した。
 '53江戸英雄と三井財閥解体を機に、バラバラになった三井グループ各社を横断したグループ紙「三友新聞」が発行されることになり社長に就任。後に三井不動産顧問を務め、'57三友住宅協会理事長に就任。'68『三井百年』を刊行した。
 この間、郷里の大分でも、ラジオ大分社長、'59大分放送社長、別府国際観光社長を務め、'71福沢諭吉の旧邸が国の史跡となり公益社団法人福澤諭吉旧邸保存会が発足し会長に推された。'76大分放送取締役会長も歴任した。'64紫綬褒章、'69勲3等瑞宝章、'79勲3等旭日中授章を受章。享年89歳。

<政治家人名事典>
<大分県人名録>
<現代物故者事典 1988〜1990>
<人事興信録など>


墓所

*墓石は寝石に「四恩 星野家」と刻む。左側に墓誌があり、俗名・没年月日・行年が刻む。妻はさと。「平成十三年九月十六日 先祖の霊を大分市西應寺より移し、ここに祀る」と刻み、「星野藤八、ヤス、長太郎、太三郎、カメ、フミ」の名が刻む。

*「四恩」(しおん)とは、仏教用語で人がこの世で受ける4種の恩のこと。分類の方法もいくつかに分れる。(1) 『心地観経』の説 (父母の恩,国王の恩,衆生の恩,三宝の恩) 。(2)『釈氏要覧』の説 (国王の恩,父母の恩,師友の恩,施主の恩) 。(3)『平家物語』の説 (天地の恩,国王の恩,父母の恩,衆生の恩) 。

<ブリタニカ国際大百科事典など>


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