≪略歴詳細をご存知の方はご一報ください≫
父は清。正4位 勲2等瑞寶章。享年80歳。
1952米国ダウ・ケミカル社と日本の旭化成との合弁で誕生した旭ダウ株式会社の社長を務める。'60旭ダウの登録商標として「サランラップ」を発売。
'63魚と輪切りのリンゴにサランラップを巻いたシンプルな写真に「においのケンカを防ぎます」というキャッチフレーズで出した「サランラップ」の広告は人気商品となり、電子レンジの普及とともに家庭内で必需品となる。
堀は「エチレンではめしは食えない」と述べ、誘導品や川下製品の需要を重視し、他社が当時行っていなかった川下事業にも着手。'62発泡ポリスチレン「スタイロフォーム」、'67発泡HDPE、'68二軸延伸PSシート、'72合成木材(PS連続押出低発泡板「ウッドラック」)などである。
'70.7〜'74.7石油化学工業協会副会長、'72.7〜'74.7石油化学工業協会の第7代会長に就任。'58(S33)協会が発足した初代会長はわが国石油化学の“生みの親”ともいうべき三菱油化社長であった池田亀三郎(10-1-3)である。
以降、三菱油化、日本石油化学、三井石油化学、住友化学と、主要センター会社が会長に就任してきたが、センター会社ではない会社の社長の就任は異例であった。当時は原油価格が4倍に跳ね上がった第1次オイルショックの中であり、堀のリーダーシップが期待されての抜擢とされる。
なお、旭ダウは好業績を続け、優良会社として高い評価を得ていたが、'82.3.2合弁解消し、旭化成工業に吸収合併された。
【サランラップ】
ラップとは最初から食品用に開発されたのではなく、最初は弾薬や火薬などを湿気から守るために開発されたのが始まりである。
ダウ・ケミカルに所属していた技術者のラドウィックとアイアンズが戦後、ピクニックに出掛ける際、レタスをポリ塩化ビニリデン(PVDC)フィルムに包んで持っていったことがきっかけで、食品の保湿と保管としての用途に注目された。後に開発が進められて、食品用ラップとして販売されるに至る。
サランラップの名称は、このラドウィックとアイアンズの二人の妻である、サラ (Sarah) とアン (Ann) の名前にちなんで「サランラップ」と名付けられた。
なお、サランラップは多くの国々での登録商標の権利をダウ・ケミカルが保有しているが、日本では、ダウ・ケミカルと旭化成ケミカルズが共有している。