山形県酒田市浜町出身。池田亀蔵の6男として生まれる。1909(M42)東京帝国大学工科大学採鉱治金科卒業後、三菱合資会社に入る。九州、北海道の炭鉱に勤務、'20(T9)三菱鉱業 美唄鉱業所長、'25本社技師長、'28(S3)常務取締役に就任した。
岩崎小弥太社長の信頼が厚く、三菱石油を経て、'34三菱石炭油化工業の設立、'39その後身の日本化成工業(三菱化成)の社長となる。更に旭硝子、武田化成、三菱社、三菱マグネシウム、ライオン油脂、日本アルミニューム、東洋カーボン、化成品配給の取締役を兼ねた。加えて、硫安肥料製造業組合理事、商工省有機合成事業委員会、化学工業統制会、重要産業協議会、航空工業会、日本経済連盟、化学工業連盟の公職に就く。
敗戦後、'46三菱解体で、公職追放。'50解除後以降は、経団連理事、経団連評議員会副議長、工業技術協議会委員(通産省)、行政審議会委員、東京都産業教育審議会会長、輸出入取引審議会委員、産業合理化審議会委員、日本関税協会常務理事、(社)公正取引協会理事、全国資産再評価調査会委員(国税庁)、山形県産業教育振興会顧問、石油化学工業協会会長、水質審議会委員(経済企画庁)、科学技術庁顧問など、数えきれないほどの公職に就き、率先して先端事業である石油化学事業に取り組むと同時に、業界の編成とりまとめ、その育成に尽力した。
事業としては、'56三菱油化を設立し社長に就任。'57日本合成ゴム設立取締役、'63日本プタノール設立し社長、'65鹿島コンビナート建設協議会を設置した。日本経済に大きな影響を与え、日本の石油化学工業を復興させた第一人者、化学工業の先覚者としての功績により、'70勲1等瑞宝章受章。'74秋頃より東京女子医大病院に入退院を繰り返すようになり、'77同病院にて逝去。享年92歳。