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ひろせ とうほ

廣瀬東畝

ひろせ とうほ

1875.2.26(明治8)〜 1930.1.27(昭和5)

明治・大正・昭和期の日本画家

埋葬場所: 12区 2種 28側

 高知県高岡郡佐川村出身。通称を済。字は公美。別号に心菴・沓雲山房等。初め南画を天野痩石に学び、燕石(えんせき)と号す。
 1898(M31)24歳のときに上京して荒木寛畝(16-1-15)に日本画を学ぶ。文展入賞6回、その作品は数回宮内省に買い上げられた。1927(S2)「池畔」、'29「深山の朝」は、帝展無鑑査となった。 また東京高等工業学校教授などを歴任し、土陽美術会本部会員でもあった。花鳥画をもっとも得意とし、優雅、佳麗な作風であった。享年56歳。

<高知県人名事典>
<森光俊様より情報提供>


 


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