高知県高岡郡佐川村出身。通称を済。字は公美。別号に心菴・沓雲山房等。初め南画を天野痩石に学び、燕石(えんせき)と号す。 1898(M31)24歳のときに上京して荒木寛畝(16-1-15)に日本画を学ぶ。 文展入賞6回、その作品は数回宮内省に買い上げられた。1927(S2)「池畔」、'29「深山の朝」は、帝展無鑑査となった。 また東京高等工業学校教授などを歴任し、土陽美術会本部会員でもあった。 花鳥画をもっとも得意とし、優雅、佳麗な作風であった。享年56歳。
<高知県人名事典><森光俊様より情報提供>
荒木寛畝