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ひらた くらきち

平田内蔵吉

ひらた くらきち

1901(明治34)〜 1945(昭和20)

昭和期の民間療法創始者

埋葬場所: 18区 1種 24側

 兵庫県赤穂市出身。薬種商の平田寛治・しず(共に同墓)の長男。弟の平田晋策は戦争小説家。次男の平田穂生(同墓)はシナリライター。孫の平田オリザは劇作家。
 '25(T14)京都大学医学部に入学。在学中に義母が胆石病を患い、あらゆる西洋医療でも治らなかったが、加藤幾太郎の無痕灸(温熱瞬間療法)を受け約2週間で全治した。 これが鍼灸の分野へ進むきっかけとなった。'27(S2)鍼灸や温熱などの物理療法と心理学的効果の総合化を志し、加藤幾太郎の大日本温熱療法研究所に入所。 '30独自の温熱療法である「平田式心理療法-熱針術」を提唱。後に、人体の経絡・経穴を日本で始めて電流を利用して再探索し、古来の東洋医学の経絡・経穴図と比較検討、その選定と解剖学的な位置づけを行った「平田式体表十二反応帯」を発表した。 これは今日の鍼灸学校の教科書や成書にも記載されている「平田氏帯」のことである。
 '36肥田春充と出会い、肥田式強健術を学ぶ。肥田春充承認のもと肥田式強健術に独自の操練法を加えた新たな操練法を考案した。 これは指圧を中心とする治療法・健康法の皇法医学(皇方医学)として、日本武芸司護身道八光流柔術で受け継がれている。 民間療法の他に、坐の哲学と日本精神の真髄を追究したことでも有名であり、吉凶判断の著作物も出版している。'45沖縄大里村で戦死した。

<東洋医学の革命児「平田内蔵吉の生涯と思想・詩」久米健寿氏著など>
<ご遺族のみずほ様より情報提供>


墓所

*平田家墓所の右側に『刃に 蝶がとまる 日のひかり』と刻む平田内蔵吉の自筆による句碑が建つ。平田内蔵吉の遺言により、穂生と慶子が建之した。


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