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ひご のぶゆき

肥後信之

ひご のぶゆき

1926(大正15)〜 2004.3.11(平成16)

昭和・平成期の点字出版事業家、俳人

埋葬場所: 11区 1種 9側

 東京出身。父は東京点字出版所の初代理事長の肥後基一(同墓)。俳号は秋晴子。
 戦時中、1945(S20)広島県大竹海兵団に現役入隊し、新兵教育を受けていたが、広島に原爆が投下された後、カッターで宮島(厳島神社裏側)の自然林に退避し、茂みの下の雑木を伐り、三角兵合を急造しながら壕を掘ったりしていた。海兵団本部に行っていた分隊長から八月十五日の夕刻「米英と講和になった」という表現で終戦を知ったという。
 戦後は東京点字出版所にて父の事業を支える。'78.11.20 父の基一没後に第2代 社会福祉法人東京点字出版所理事長に就任。'89.6(H1)『新共同訳聖書・全40巻』の点訳を完成。それにより、'90.5 新共同訳聖書点字出版委員会より感謝状が送られ、'96.12 第7回聖書事業功労者賞を受賞した。
 実業の傍ら、俳号を肥後秋晴子として俳人としても活動。『句集 夜光虫』『盲人歳時記』『盲人俳句独習書』など発刊、短歌と俳句の指導(選評)で活躍。
 2004.3.11(H16) 逝去。享年77歳。没後、長男の肥後正幸が第3代社会福祉法人東京点字出版所理事長に就任。2019〜2022(R1-R4)『聖書協会共同訳点字聖書・全41巻』の点訳を完成。それにより、2023.12.8 第34回聖書事業功労者賞を受賞。肥後正幸はこの受賞の挨拶で「点字には漢字が無く、全文がかな表記となり、単語と単語を分かち書きする。そのため、聖書一冊で40巻ほどになる。普通の出版社では分業するところ、点訳から印刷・製本まで全て所内で行っている。すべて手作業のため大変時間がかかる。最近はインターネットに点字は押され気味だが、点字は視覚障害者の文字であり、決してなくなることはないと思っている。これからも事業を継続したい」と話した。

<昭和万葉俳句前書集>
<クリスチャン新聞「聖書協会クリスマス礼拝 聖書事業功労者賞に東京点字出版所・肥後氏」>


墓所

*墓石前面は十字架を刻み「肥後家之墓」、裏面「昭和七年四月 肥後基一 建之」。右側に墓誌が建つ。4才で亡くなった基一の次男の進(S7.3.4永眠)から刻みが始まる。基一の妻は肥後じゅん(S43.11.20永眠・行年76才)。基一の長男は肥後信之、信之の妻は肥後のぶ子(R1.7.17永眠・行年89才)。信之の長女の秋吉英子(R2.11.4永眠・行年64才)も眠る。墓所左側には肥後信之(秋晴子)の歌碑が二基建つ。手前「風音は 空ゆくばかり 寒椿 秋晴子」、奥「暮れなづむ あきつの空や 母の声 秋晴子」。


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