東京出身。父は東京点字出版所の初代理事長の肥後基一(同墓)。俳号は秋晴子。
戦時中、1945(S20)広島県大竹海兵団に現役入隊し、新兵教育を受けていたが、広島に原爆が投下された後、カッターで宮島(厳島神社裏側)の自然林に退避し、茂みの下の雑木を伐り、三角兵合を急造しながら壕を掘ったりしていた。海兵団本部に行っていた分隊長から八月十五日の夕刻「米英と講和になった」という表現で終戦を知ったという。
戦後は東京点字出版所にて父の事業を支える。'78.11.20 父の基一没後に第2代 社会福祉法人東京点字出版所理事長に就任。'89.6(H1)『新共同訳聖書・全40巻』の点訳を完成。それにより、'90.5 新共同訳聖書点字出版委員会より感謝状が送られ、'96.12 第7回聖書事業功労者賞を受賞した。
実業の傍ら、俳号を肥後秋晴子として俳人としても活動。『句集 夜光虫』『盲人歳時記』『盲人俳句独習書』など発刊、短歌と俳句の指導(選評)で活躍。
2004.3.11(H16) 逝去。享年77歳。没後、長男の肥後正幸が第3代社会福祉法人東京点字出版所理事長に就任。2019〜2022(R1-R4)『聖書協会共同訳点字聖書・全41巻』の点訳を完成。それにより、2023.12.8 第34回聖書事業功労者賞を受賞。肥後正幸はこの受賞の挨拶で「点字には漢字が無く、全文がかな表記となり、単語と単語を分かち書きする。そのため、聖書一冊で40巻ほどになる。普通の出版社では分業するところ、点訳から印刷・製本まで全て所内で行っている。すべて手作業のため大変時間がかかる。最近はインターネットに点字は押され気味だが、点字は視覚障害者の文字であり、決してなくなることはないと思っている。これからも事業を継続したい」と話した。