幼名信丸。京都出身。
1906(M39)以降御製取調掛、掌典等となり、また明治天皇御製臨時編纂部員、御歌所参候、歌御会始奉行等となる。
東坊城家は、菅原道真の後裔、高辻家の分かれ五条家の分家。五条為経二男茂長を祖に、鎌倉末期に創立され、以後侍読や文章博士となる者が多く、紀伝道を以て朝廷に仕えた。
儒道・301石の公家のため、1884(M17)7月8日に徳長が子爵を授爵した。1911(M44)貴族院議員(子爵議員)となり、研究会に属す。
在任期間は1911(M44.7)〜1922(T11.8)没するまでつとめた。正三位・勲三等。
<歴代閣僚と国会議員名鑑> <日本人名大事典> <平成新修旧華族家系大成> <MATHU様より情報提供> <徳川葵様より情報提供>
*墓所には五輪塔が建ち「東坊城家」と正面に刻む。裏面「昭和三十五年七月 東坊城英子 建之」と入江たか子の本名が刻まれている。墓所右側に墓誌があり「メリー東坊城英子」と没年月日、行年が刻む。
*東坊城徳長の妻の君子は京都・円山公園内「いもぼう」の娘。二人の間には3男3女を儲け、長男の東坊城政長は爵位継承し当主となった(墓は淨福寺・下写真)。次男の東坊城光長は20代で結核を患い早死。
三男の東坊城恭長は映画俳優・監督として活躍(淨福寺から一時多磨霊園のこの地に埋葬されたが、現在は都内の他墓所に改葬)。長女の敏子は貞明皇后の女官となり、後に目黒雅叙園の創始者の細川力蔵に嫁いだ。
次女の宣子は映画監督の木村千依男に嫁いだ。三女の英子が入江たか子であり、その娘は女優の入江若葉である。四男の東坊城元長は長男の政長が子に恵まれなかったため東坊城家の家督を継いだ。
*東坊城家の菩提寺は浄福寺(京都市上京区浄福寺一条上笹屋2-601)である。上の写真は浄福寺にある東坊城徳長の長男の東坊城政長の墓。東坊城徳長は浄福寺に眠っており、多磨霊園は供養塔である。なお同寺は菅原道真公の後裔である菅原流の公家の菩提寺で、東坊城家のほかに、高辻家、五条家、桑原家の菩提寺でもある。
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