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ひだか ようじろう

日高要次郞

ひだか ようじろう

1881.12(明治14)〜 1971.12.26(昭和46)

明治・大正・昭和期の裁判官、大審院判事

埋葬場所: 3区 1種 32側

 鹿児島県出身。中根順之の2男として生まれる。1901(M34)日本法律学校卒業。'03 判検事登用試験に合格し、'05 判事に任じる。
 豆田裁判所判事、久留米裁判所判事、福岡裁判所判事、小倉裁判所判事、長崎控訴院判事、長崎地方裁判所判事、鹿児島地方裁判所部長、長崎控訴院判事函館控訴院判事及び部長、名古屋控訴院部長等を歴任した。
 '24(T13)大審院判事に転じた。この年に長崎控訴院などで検事として活動している日高實容(同墓)の長女の泰子(M21.12-S49.4.24)と結婚し婿養子となる。旧姓は中根。
 その後、様々な要職を歴任し、'37.1.12(S12)札幌控訴院長(~'41.1.30)'41.1.31 宮城控訴院長(~'42.5.11)などを務めた。正3位 勲2等。享年90歳。

<人事興信録>


*墓石は和型「日髙氏墓」。左右に墓誌が建ち、左の墓誌に養父の日高實容(文久3.8-S22.3.2)には「故 検事 従三位 勲二等」と刻む。養母(實容の妻)はカズ子(M12.11-S13.6.3)。カズ子は熊本県出身で実業家の吉永爲之の長女。日高要次郞には「正三位勲二等」と刻む。要次郞の妻は日高實容の長女の泰子(M21.12-S24.4.24)。墓誌には、實容とカズ子の養子となった日高信(M41.3-T13.10.27)も眠る。日高家の嗣子の予定であったが早死したため、要次郞が婿養子となった。他に要次郞の3男の悌(T5.9-S55.3.17)、4男の忠(T8.12-S40.5.27)らも刻む。右の墓誌には要次郞の長男は日髙孝(T3.2-H4.5.27)らが刻む。


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