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ひびき のぶすけ

日疋信亮

ひびき のぶすけ

1858.1.15(安政4.12.1)〜 1940.11.22(昭和15)

明治・大正・昭和期の陸軍主計少将、基督教伝道者

埋葬場所: 12区 1種 17側

 紀伊国(和歌山県黒江町)出身。日疋文七の三男として生まれる。幼名は常吉。1882陸軍士官学校(旧5期)卒業し、陸軍歩兵少尉に任命される。歩兵中尉の時に主計科に転籍。
 1904.7.5第4軍兵站経理部長、同年.8.14満州軍倉庫長になり、日露戦争に従軍。'06.2.27第6師団経理部長、同年.12.16一正となり、'09.8.10第一師団経理部長を経て、'12.9.18(T1)主計監(少将相当官)に就任。 同年.9.28朝鮮駐剳軍経理部長を歴任し、'14.5.11侍命、同年.7.17予備役となる。功四級金鵄勲章、勲三等旭日中綬章、従四位。
 予備役となって以降は、日本基督教会に所属。'19日本基督教青年会同盟軍隊慰問部理事。'29(S4)日本ホーリネス教会の年会に出席し、宗教法案反対基督教同志会に従い、宗教法案反対の先頭に立って活動した。 '33満州伝道会を結成、会長に就任。後にこれは日支事変の時に東亜伝道会となった際にも会長となる。同年ホーリネス分裂事件の際に調停に尽力。'34満洲伝道会委員長に任命される。
 晩年の中田重治(19-1-3)に影響を受け、密接な関係をもった。'39.9.28中田重治の葬儀に列席て弔辞を行う。'40.10.17皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の万歳奉唱を担当。 富士見町教会教会員。功4級。享年82歳。石井伝一著の『偉人日疋信亮』がある。

<帝国陸軍将軍総覧>
<キリスト教総覧など>


墓所

*墓所には5基。正面真ん中に和型「日疋信亮之墓」、右面に略歴が刻む。右側は妻のカヨの墓で和型「日疋カヨ之墓」、左側は寝石に「日疋誠」。左端に和型「日疋兼吾之墓」。墓所右手側に寝石「日疋家之墓」とある。墓所左手側に墓誌がある。

*妻は広島出身の川本カヨ。

*日匹信亮と書かれている人名辞典もあったが、ここは墓石に刻まれている日疋信亮で統一する。


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