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はやし まこと

林 實

はやし まこと

1919.7.16(大正8)〜 1983.8.30(昭和58)

昭和期の未来学者、官僚、教育者

埋葬場所: 7区 1種 1側

 東京麻布区出身。祖父は三高教授などを務めた英語教師の林和太郎(同墓)。父は陸軍中将の林桂、母は喜美(共に同墓)の長男。林家16代目当主。
 東京帝国大学経済学部を目指していたが浪人し、両親の反対を押し切り、東京帝国大学文学部哲学科に入学。 学生時代は長身186センチと陸上競技選手の体格を見込まれ体育会実行委員長。大学2年生の時に学徒動員された際の帝大の旗手を務めた。 1943(S18)大学を繰り上げ卒業後、即日役人となり、まもなく陸軍予備仕官学校に入り近衛兵第三連隊へ入営。第一航空隊教育隊に分遣され、第七航空隊に曹長として配属。特攻隊員であったが、陸軍航空少尉にて敗戦。
 終戦後は内務省に復帰し、内務事務官として働くも、インフレ時の役人の給料では生活が困難であったため、夜は芝浦岸壁での沖仲士でアルバイトをし二業生活をする。 内務省解体後、新設の経済安定本部建設局計画課に異動を機にアルバイトは辞める。その後、総理庁(後の総理府)事務官、建設事務官、建設交通局、経済企画庁、行政管理庁統計基準局、内閣総理大臣官房審議室などを歴任。
 この間、'60中曽根康弘科学技術庁長官の提案で原子力・医学・宇宙など各分野の第一人者を集め未来を予想した。当時は未来学が盛んであり、林自身も細かく分析、あるものは数字を入れて具体的に予想をした。 これらをまとめた『21世紀への階段』(科学技術庁監修)はベストセラーとなった。なお予想した135項目のうち、21世紀の現在4割にあたる54項目が実現している。 例えば、携帯電話、高周波調理器(電子レンジ)、音声タイプライター、海水の真水化、人口授精、精子バンク、女性がGパンを着用する時代、栄養学を重要視する時代など。 経済企画庁の観光行政の任にあったが、その後も未来予想図・予測を統計的数字や細かい分析を元に発表し、多くのメディアに取り上げられ、コメンテーターとしての出演依頼や原稿執筆の仕事が殺到した。手塚治虫も林邸に出入りしていたという。
 '68退職して、自宅に「地域計画研究所」を開業。山村や観光開発のコンサルタント、JYH・ホテル・旅館の相談、日本ユースホステル協会や日本オートキャンプ協会など青少年の育成、講演活動や雑誌執筆を行う。 '69東京YMCA国際ホテル専門学校講師として観光地域計画論を講義、'71作法の講義を担当した。学校授業外にも林邸宅にて休日等を利用し『林講師宅訪問心得』という補講が行われた。 定刻「15分前主義」を徹底的に叩き込みながら、「大声演説」「ハダカ演説」などホテルマンとしての基礎を指導した。主な著書に、『観光統計』『観光開発計画手法』『レジャー時代』『作法心得』『文書心得』など。享年64歳。 追従五位 勲五等瑞宝章授与。没後翌年、妻の万里が遺作集『林實の未来物語』を出版した。

 格言:「本当の一流ホテルというのは、雰囲気です。雰囲気を即物的にいうと、味はもうギリギリまで出ていますから、そこから上は、においと音響です。 まつげの長い女性は男性にとっては記憶に残るのですが、音はまつげの長さみたいなところがあります。それから平安時代で言えば、袖の香ぞする、最後にはやはり香りです。結局、一流とはその辺で決まると思います。」

<「文書心得」著者略歴>
<「林實先生のエピソード」ご子息の石原道子氏の手記など参考>


 


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