加賀国(石川県金沢)出身。金沢藩士の林市之丞の長男として生まれる。号は浩堂。
維新の際、海軍を志し江戸や横浜に遊学。明治になり民政局出仕を経て、海軍兵学校教官、海軍秘書官などを歴任。
1875(M8)士族授産を目的に東京麻布に農学舎(学農社)をおこす。また、1876 鉄道の重要性を主張し、1978 官設鉄道以外の会社方式による鉄道建設を目的に東山社を設立。1981 岩倉具視らの賛同を得て、旧大名や公卿たちが秩禄処分で得た公債を元本として、日本初の私設鉄道会社の「日本鉄道会社」(日本鐵道株式會社)を創業し理事となる。
国家の手厚い保護のもとに、1883.7 上野−熊谷 間、翌年に熊谷−前橋 間、そして1891.9 上野−青森 間を全通 (現在JR東北本線・高崎線・常磐線の大部分)の建設を進めた。
1892 官設鉄道から事務を引き継ぎ自営体制を整えた。理事委員・検査委員・取締役を歴任したが、1906 鉄道が国有化されることにより重役を辞任した。
他に、1897 七尾鉄道会社の創立に従事し取締役に就任。岩城鉄道監査役なども歴任した。わが国私鉄敷設の先駆者と称される人物である。
また、上京した学生たちの拠り所となり学業を全うできるような施設が必要と考え、学生寮の建設を提言。自ら多大な私財を投じるだけでなく、多くの有志と資金を集め、1908(M41)現在の文京区小石川に寄宿舎「明倫学館」を開館し、郷里の青年の育英事業にも尽力。その後、明倫学館は育英舎に吸収合併(1913)し、加越能育英社(1931)へと発展していく。享年75歳。
<コンサイス日本人名事典> <近代日本の先駆者事典>
第219回 日本初の私設鉄道会社「日本鉄道会社」創業者 林賢徳 お墓ツアー
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