メイン » » » 長谷川りん二郎(地味井平造)
はせがわ りんじろう

長谷川りん二郎(地味井平造)

はせがわ りんじろう(じみい へいぞう)

1905.1.7(明治38)〜 1988.1.28(昭和63)

昭和期の洋画家、探偵小説作家

埋葬場所: 23区 2種 2側 7番

 北海道函館出身。新聞人の長谷川淑夫・由紀(共に同墓)の次男。兄は小説家の長谷川海太郎、弟の長谷川濬はロシア文学者、長谷川四郎は作家。
 1923(T12)函館中学校を卒業後、神経衰弱を患い家出をし、秋田県田沢湖で発見され、家に連れ戻される。この年は自宅にて絵画『マンドリン』『ハリストス正教会への道』『ある男の顔』『静物』を制作。 '24単身上京し、川端画学校に入るが、数ヶ月で退学。以後、独学で洋画を学ぶ。早稲田高等学院に入り、同郷の友であり、後に作家となる水谷準の下宿で共同生活をした。2人は詩や短編小説をノートに書きため回覧しあった。 '25昨年アメリカから帰国していた兄の海太郎が上京し、東中野の谷戸の文化村に一軒屋を借りたので、同居した。なお、この一軒家の大家は小説家の松本泰である。
 '26水谷準の勧めで、『煙突奇談』『二人の会話』『X氏と或る紳士』を地味井平造のペンネームで掲載し、探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」にも収録された。'27(S2)「新青年」に『魔』を発表。 同年に絵画『函館風景』を制作。'31パリヘ遊学して絵画修行に励み、『荻窪風景』『門』『道(巴里郊外)』『風景』『マロニエと門』『モンスリー公園』『巴里にて』『ジプシイの馬車』『巴里の裏町』を制作した。 '32帰国し、両親らと荻窪で暮らす。同年9月、二科展で『家』『曇り日』『道』が初入選した。'35二科展で『時計のある門』が入選し、好評を得た。「日本探偵小説傑作集」の序文で江戸川乱歩( 26-1-17-6 )から評された。 '36兄の海太郎から経済援助を受けていたが、海太郎が急死したため、父が援助を引き継ぎ、画会をつくる。 「新青年」に『顔』『不思議な庭園』を発表。日動画廊にて「長谷川りん二郎油絵個展」開催。以後、絵画を中心にしながら、詩や探偵小説などの制作を続ける。絵画では本名を使用し、詩や小説では地味井平造の名を使い分けた。 主な探偵小説に『水色の目の女』『人攫い』など多数。鮎川哲也が「ファンタジーの細工師・地味井平造」−『幻の探偵作家を求めて』(晶文社:1985)を出している。 '88.1.27夕食後、入浴中に脳内出血で倒れ、病院へ運ばれるが既に遅く、翌28日親族に見守られながら生涯を閉じた。享年84歳。

<世界人名辞典>
<「ステップアップ」vol.186>
<長谷川濬の次男の長谷川寛様より情報提供>


*りん二郎(「りん」は、隣のコザトヘンではなくサンズイ)


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・は | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。