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はせがわ でんじろう

長谷川伝次郎

はせがわ でんじろう

1894.3.3(明治27)〜 1976.1.15(昭和51)

昭和期の写真家

埋葬場所: 8区 2種 8側

 東京日本橋小伝馬町の家具工芸店の子として生まれる。店を継いだが、関東大震災で罹災して兄弟3人で北海道の釧路原野の鶴居町で牧場経営を始めた。 1925(T14)仕事を末弟に任せ、美術研究を目的としてインドのビスワバラティ大学芸術科に留学。 '27(S2)友人とともにカイラース巡礼を志し、西部ヒマラヤ山脈を横断してチベットに入り、聖山カイラースを一周。翌年カシミールからナンガ・パルバット方面への旅に出た。 そのときの紀行文と写真は大著『ヒマラヤの旅』にまとめられ、ヒマラヤ遠征をめざす日本の若者たちに大きな影響を与えた。なお、ヒマラヤの写真は日本人で初めて撮影をした人物とされる。
 帰国後は再び家具商を営みながら、家具職人となり、皇宮に献上するなど活動する傍ら、写真出版物も多く刊行した。 第二次世界大戦前に国の命によって、京都の国宝となる仏像を写真に収めた。鎌倉の自宅にて逝去。享年81歳。

<日本人名大事典(現代)>
<MATSU様より情報提供>
<ご親族様より情報提供>


*「長谷川傳次郎」が正しい。墓誌には傳次郎と刻む。戒名は傳光院法心耕道居士。

*傳次郎の娘は医学者の前田新兵衛(16-1-2-12)に嫁いだ。


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