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はらご ゆうた

原後雄太

はらご ゆうた

1958(昭和33)〜 2005.7.28(平成17)

昭和・平成期の環境運動家、国際環境アナリスト

埋葬場所: 17区 1種 11側

 東京出身。父は弁護士の原後山治(同墓)。東京大学法学部卒業。JPモルガン資金部に入社し、マクロ経済アナリスト、為替トレーダーとして勤務。1987(S62)マレーシアのサラワク州で先住民が森林伐採現場の道路を封鎖し抗議する現場に遭遇。環境問題など第三世界における社会開発事業に興味を示し、世界自然保護基金(WWF)インターナショナル熱帯林保護担当官、米国フォード財団環境部に勤務。
 ブラジル人のヴェラと結婚し、新婚生活をアマゾン地域で送り、アマゾン熱帯雨林地域における森林破壊に反対する運動などに関わる。日本に帰国し、'94.3日本・ブラジルネットワーク(JBN)を設立し代表。'99 バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)の発起人として共同代表になり、2004 NPO法人化に伴い副理事長に就任。この間、2002より明治学院大学経済学部助教授。専門は森林政策、社会開発、環境政策、資源管理。2005 東京大学より農学博士。
 主な著書に『熱帯林の冒険:サラワクの先住民を訪ねて』(1989)、『アマゾンには森がない』(1997)がある。イブリン・ホン著の『サラワクの先住民:消えゆく森に活きる』(1989)を北井一と共訳。バイオマス(生物資源)利用に関する専門家の一人であり、『アマゾンの畑で採れるメルセデス・ベンツ』『バイオマス産業社会』をBIN理事長の泊みゆきと共著。
 2005 トルコのイスタンブールのホテルの部屋の窓から転落により客死。享年47歳。自殺の可能性はなく、部屋も争った形跡も無いとのことで、誤って転落した事故とされている。同.8.9 明治学院大学白金キャンパスのチャペルにてお別れ会が行われた。明治学院大学では優秀な成績を修めた学生を対象に表彰する「原後雄太奨学金基金奨学金」が設置されている。

<著者略歴など>


墓所

*墓石は和型「原後家之墓」。左側に墓誌がある。「四代長男」とあり、俗名と没年月日の後に「トルコ共和国 イスタンブールにて」と刻む。妻はヴェラ・原後。


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