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はらご さんじ

原後山治

はらご さんじ

1926(大正15)〜 2008.8.25(平成20)

昭和・平成期の弁護士

埋葬場所: 17区 1種 11側

 和歌山県出身。1951(S26)東京大学法学部政治学科卒業。弁護士として活動をはじめ、'54原後綜合法律事務所開所。民事、商事、行政事件一般を幅広く取り扱う。また、弁護士会の法律相談や当番弁護士への登録、公益社団法人自由人権協会における活動など公益活動にも熱心に取り組む。'73日本弁護士連合会理事、後に常務理事。'81〜'87日本弁護士連合会法廷委員会委員長を務めた。
 在日韓国人の司法修習生採用をめぐる問題で弁護団長を務め、外国籍の人に門戸を開いた。これは司法試験に合格しながら最高裁から司法修習生採用を拒否された金敬得のための「支援会」をつくり、「弁護士の仕事はそれ自体国際的なものであり、国家の制約の下に活動するものではない」という趣旨の意見書を6回にわたって裁判所に提出。これを受けて最高裁は、'77.3.23日本国籍がないことで不採用とはしないとの決定を下し、同.4.1付で採用を決定した。これにより金敬得は在日韓国人初の弁護士となった。これらをまとめた『司法修習生=弁護士と国籍』を田中宏と共著で刊行。
 この他、サハリン残留韓国人の帰還請求訴訟にも10年間にわたってかかわった。また、法廷傍聴人のメモをめぐり「知る権利」が争われた訴訟、法廷外での弁護士仲裁制度の創設などに尽力した。

<民団新聞 2008.9.3 など>


墓所

*墓石は和型「原後家之墓」。左側に墓誌がある。初代 喜右エ門、二代目 傳兵衛、三代目 嘉。山治は四代目と刻む。妻は美恵子。長男は環境運動家の原後雄太(同墓)。


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