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はなだ みつのすけ

花田満之助

はなだ みつのすけ

1857(安政4)〜 1929.8.5(昭和4)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(大佐)、鉱業家

埋葬場所: 12区 1種 7側

 鹿児島県出身。父の花田嘉藤太(政喜:M10.5.14歿 同墓)は海軍発足初期の海軍少尉。
 1888.4.9 海軍大尉となり葛城艦分隊長、呉水雷敷設部分隊長を経て、1894.12.5 旅順口根拠地兵器庫主管に着任した。1896.6.15(M29)三陸沖地震の際、通報艦「龍田」に乗込み救助に向かい現場対応を指揮した。
 1897.12.1 中佐となり、1905.12.12舞鶴工廠造兵部武庫主管に就任。'06.11.30 大佐になり予備役となる。正5位 勲3等。その後、鉱業関連会社などで監査役などを務めた。享年70歳。


墓所

*自然石に「花田家之墓」。左側に墓誌があり、初代の花田源八(政厚)ら代々が刻む。墓誌には「海軍大佐 正五位 勲三等」と刻む。妻はエツ。長男の政雄が4歳で亡くなったため、二男であった大蔵官僚の花田政春が嫡男となる。

*孫に俳人・作家・障害者研究家の花田春兆(1925-2017.5.13 本名は政國)がいる。花田春兆は出生時からの脳性まひにより歩行、起立障害、言語障害を患い、長く東京都港区に在住し、電動車椅子入手後は都内の図書館や障害者福祉会館等を単独で走り回り活動した。


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