筑後国(福岡県)出身。柳川藩士の徳永精是の五男として生まれる。旧姓は徳永。1901.6(M34)京都の宮家で政治家・京都商業会議所会頭の濱岡光哲の長女の久子(同墓)と結婚し婿養子となる。
同志社卒業後、米国ミシガン大学で経済・財政・政治を学び、1900(M33)ドクトル・オブ・フィロソフィー(哲学博士)の学位を取得。'02 英語で執筆した『A study on the central bank of Japan』を刊行。
帰国後、日本銀行に入行。日本銀行本店営業部調査役などを経て、'14(T3)〜'20まで欧州戦時及び戦後に亘り同行代理店監督役(日本銀行紐育監督役)として紐育(米国ニューヨーク)に駐在し、欧米各国を巡遊するなど鞅掌(おうしょう:忙しくする)した(金解禁を進言したとされる)。
帰国後、日本銀行調査局長、'21.11.28 大阪支店長に就任。'26.3.18 日本銀行理事、その後、監事となる。勲5等。病のため逝去。享年67歳。正6位追叙。
*墓所には三基。真ん中が「濱岡五雄之墓」、裏面が略歴等々が刻み、「昭和十五年二月 嗣子 濱岡雄一 謹誌」と刻む。戒名は慈徳院殿英譽賢道悟悠大居士。左に「濱岡久子之墓」、右面に「濱岡家」、裏面に久子の略歴と「昭和六年三月建」と刻む。戒名は貞〇院徳譽慈信久子大姉。右に「濱岡家墓」、左面「濱岡雄一家累代之墓 建之」とあり、裏面が墓誌となっており、早死した雄一三女、雄一、フミ(H7歿・86才)の順で刻む。
*濱岡久子(M13.10.15-S3.6.27、行年49才)の父は濱岡光哲、母は幾子の長女。五雄との間に3男3女を儲ける。長男の濱岡雄一(1902.7-1991.9.18 同墓)は同志社卒業後、三井銀行に入行した銀行家。長女の富美子は教育家・ドイツ語学者の尺秀三郎(青山霊園1種イ4号1側)の長男の秀實(S4.1.1・享年35才)に嫁ぐ。次女の雪子は政治家の改野耕三の長男、五郎に嫁す。三女の芳子は小田川鋼吉に嫁す。鋼吉は土木事業家の小田川全之(2-1-7)の養子。次男は普。三男は隆。