7代目:
1882.9.21(明治15)〜 1961.11.4(昭和36)
東京出身。12代目守田勘弥の長男。本名守田寿作。俳名は是好。1889(M22)初舞台。 2代目坂東八十助を経て、'06に7代目三津五郎を襲名。
6代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門らと大正・昭和初期の歌舞伎界で活躍。芸風は品が高く端正であり〈近世の名人〉と称され、舞踊は軽妙・高雅であった。'49(S24)芸術院会員、'55人間国宝。'60文化功労者。享年79歳。
8代目:
1906.10.19(明治39)〜 1975.1.16(昭和50)
東京出身。7代目三津五郎の養子。本名守田俊郎。俳名は喜好、是真。女優の池上季実子は孫。1913(T2)3代目坂東八十助で初舞台。
'28(S3)6代目坂東蓑助を襲名。若くして小山内薫(5-1-1-37)に傾斜、新劇場、東宝劇団などを結成し独自の活動を経て、関西歌舞伎で活躍する。
'61東京松竹に復帰。均整のとれたキメの細かな芸風で、舞踊にも優れていた。'62(S37)8代目三津五郎を襲名。
実悪、老役を得意とした。歌舞伎界の故事、先達の芸風に詳しく、〈歌舞伎の生字引〉といわれる。'66芸術院賞受賞。'73人間国宝。
茶道・古美術に造詣が深く、また文人で著作も多く、'65随筆集「戯場戯語」ではエッセイストクラブ賞を受賞した。
「役者はどの店に行けば、どんな美味いものがあるかということも知っていなくちゃいけない」と生前、いつも後輩に語っていた。
が、その食通ぶりが仇となり、京都の割烹でトラフグの肝を四人分も食べて、フグ中毒で急死した。享年68歳。
このフグ中毒死事件で、業務上過失致死罪に問われた京都市の割烹「政」の調理師は、一審で禁固八月、執行猶予二年。
'79大阪高裁の控訴審では禁固四月、執行猶予二年の判決を受けた。
瓦谷末雄裁判長は減刑の理由について、毒性が強いトラフグの肝を禁止されているにも関わらず客に出した責任は重いが、一審判決は被害者の名声ゆえに厳しすぎるとし、肝は美味で被害者も好んで食べたことや、公演後の疲労による身体的不調も考えられることも考慮すべき点もあると述べている。
9代目:
1929.5.14(昭和4)〜 1999.4.1(平成11)
東京出身。父は3代目坂東秀調、母は2代目坂東秀調(2-1-6)の娘、その三男として生まれる。8代目坂東三津五郎の長女喜子の婿養子となった。本名守田光伸。1932(S7)本名で初舞台。
4代目坂東八十助襲名後、'62に7代目坂東蓑助を襲名。8代目坂東三津五郎没後、舞踊坂東流家元となり、'87歌舞伎座でに9代目坂東三津五郎を襲名した。
芸域はひろく、特に老役に優れた。'91(H3)芸術院賞。享年61歳。
10代目:
1956.1.23(昭和31)〜 2015.2.21(平成27)
東京出身。父は9代目坂東三津五郎・母は8代目坂東三津五郎の長女喜子。守田家で74年ぶりに授かった男児であり、名前を寿と命名した。
本名は守田寿(もりた ひさし)。青山学院大学文学部中退。1962(S37)歌舞伎座『黎明鞍馬山』の牛若丸役で5代目坂東八十助を襲名し初舞台。
幼馴染の18代目中村勘三郎との交友ぶりはよく知られ、勘三郎の企画に名を連ねることが多い。俳優として大河ドラマや民法ドラマに出演し、テレビを通して坂東八十助の名前で広く知られた。
父が死去後、2001(H13)10代目坂東三津五郎を襲名した。
2006日本芸術院賞受賞。1983元宝塚スターの寿ひづると結婚して一男二女をもうけるが離婚、その後1998元フジテレビアナウンサーの近藤サトと不倫の末に再婚するも離婚し、世間を騒がせた。
2013膵臓に腫瘍が判明し手術のため休演し療養をしたが、膵臓がんのため逝去。享年59歳。戒名は「香芸院爽進日寿居士」。寿ひずるとの間に1男2女を儲け、長男は2代目坂東巳之助。長女は女優の守田菜生、二女は舞踊家の守田幸奈。女優の池上季実子は従妹にあたる。
<コンサイス日本人名事典> <講談社日本人名大辞典> <往生際の達人 桑原稲敏>
第51回 歌舞伎俳優 守田勘弥 坂東三津五郎 お墓ツアー
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