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うの ほがら

宇野 朗

うの ほがら

1850(嘉永3)〜 1929(昭和4)

明治・大正期の近代外科学の先覚者

埋葬場所: 19区 2種 13側

 伊豆国三島伝馬町出身。東京帝国大学医学部卒業。1886(M19)東京帝国大学医科大学教授として外科担当。1889(M22)森有礼が暗殺された際に治療にあたった。 同年の1889から3年間、欧州留学(ハイデルベルク大学)、帰国後は皮膚病黴(ひふびょうばい)〔梅毒〕学の講座も開設した。 東京大学付属病院長、東京大学評議員などを歴任。1897(M30)大学退官後、東京浅草小島町に樂山堂病院を開業し、乏しい人々のために医療を施した。 また治療の傍ら臨床講義を為し学生の養成も行ない、大槻菊男など後に外科学の権威を多く輩出した。 同じ頃、郷里に私立三島病院を創設し、並行して患者の治療に当たった。
 1903(M36)日本医科学会第5代会長、同年、東京大学名誉教授第一号を授与された。医学博士。勲四等。享年79歳。
 土肥慶蔵(7-1-1-5)は、『宇野朗先生伝』を著している。

<三島市医師会報 第301号など>


*正墓所は郷里の三島市本町にある常林寺にある。

*多磨霊園の墓は、宇野朗の第七子で分家した宇野七郎(1972歿)家の墓である。 宇野朗の刻があり、帝国大学名誉教授・医学博士・勲四等と刻まれている。

*宇野朗はここには分骨されている可能性は低いのですが、この人物を知るための一環として掲載します。


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