メイン » » » 梅澤治雄
うめざわ はるお

梅澤治雄

うめざわ はるお

1911.10.30(明治44)〜 2003.6.23(平成15)

昭和期の陸軍軍人(中佐)、陸上自衛隊陸将

埋葬場所: 23区 1種 1側

 山形県出身。父は陸軍少将の梅澤力助(同墓)。1932(S7)陸軍士官学校卒業(44期)、同期に陸軍中佐・陸上自衛隊陸将の岩越紳六(13-1-26)、第5代航空幕僚長の浦茂、終戦前夜のクーデター宮城事件で死去した白石通教、伊藤忠商事会長の瀬島龍三、宗教学者の神直道らがいる。 '38(S13)陸軍大学卒業(51期恩賜)。'41.10.15太平洋戦争開戦直前に参謀本部員(編制動員課編制班)となり、'44.10.2陸軍大学校教官を兼務。'45.3.1陸軍中佐。同年.4.23参謀本部員兼大本営参謀(編制動員課編制班長)となり終戦を迎えた。
 戦後、'52陸軍自衛隊に入隊。第一普通科連隊長富士学校普通科部長、'59陸将補、'60.8.1陸上自衛隊幹部候補生学校長に就任。 '61.8.1陸上自衛隊幹部学校副校長。'63東京オリンピック支援集団長、'64陸将となり、同年.11.20第11師団長。 '66.7.1陸上自衛隊幹部(上幕僚監部幹部)学校長に就任。'69.7.1退官。
 退官後は、綜合警備保障に入社。'70取締役、'74常務、'80専務を務めた。正4位 勲3等旭日中綬章。老衰のため東京都中野区の病院で逝去。享年91歳。 葬儀・告別式は東京都中野区の宝仙寺で営まわれた。妻は千鶴。

<物故者事典>
<訃報記事など>
<森光俊様より情報提供>


*墓石は和型で「梅澤家之墓」。右側に墓誌があり「正四位 勲三等 旭日中綬章」とともに戒名、没年月日、俗名、行年が刻む。戒名は聖生院殿釈治雄安徳居士。


【旧日本軍と自衛隊の階級】
 旧日本軍は陸軍と海軍であり、現在の自衛隊は陸上自衛隊、海上自衛隊の他に航空自衛隊がある。

 旧日本軍は最高位は元帥。以下、大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、准尉、曹長、軍曹、伍長、兵長、上等兵、一等兵、二等兵

 自衛隊は最高位は幕僚長。以下、将、将補、1佐、2佐、3佐、1尉、2尉、3尉、准尉、曹長、1曹、2曹、3曹、士長、1士、2仕

*旧日本軍の階級は陸軍と海軍では若干の違いもある。上記したのは陸軍。海軍では「伍長→軍曹→曹長→准尉」のところが「二等兵曹→一等兵曹→上等兵曹→兵曹長(少尉候補)」となる。また、昔は「二等兵→一等兵→上等兵→兵長」を「四等水兵→三等水兵→二等水兵→一等水兵」と言っていた。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。