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うめざき うのすけ

梅崎卯之助

うめざき うのすけ

?〜 1951.9.12(昭和26)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(大佐)、著述家

埋葬場所: 17区 1種 13側

 福岡県出身。福岡修猷館中を卒業。1912.7.17(M45)海軍兵学校卒業(40期)。同期に宇垣纏(後に中将:20-1-8-18)、福留繁(後の中将:6-1-6)らがいる。少尉候補生となり、'13.12.1少尉に任官。'15.12.13中尉、'18.12.1(T7)大尉。
 '20.8.2石見分隊長、関東分隊長、陸奥分隊長を経て、'22.12.1矢風砲術長、夕張分隊長、'24.4.10長鯨艤装員、同.8.2砲術長。'25.12.1少佐となり、平戸砲術長、'26.12.1多摩砲術長、'29.4.1(S4)佐世保海兵団教官。'31.12.1中佐となり、横須賀鎮守府参謀兼横須賀軍需部員を経て、'34.2.20那智副長となる。
 この頃より 海軍省海軍軍事普及部に属し戦史の著述執筆をはじめ、'34『世界に正義の歩みを呼びかける日本民族の覚悟』、『十対六の比率ではどうして戦争が出来ぬか?』、'35『五・五・三廃棄をめぐる列国の動向を探る : 危機第一年・国民への警鐘! 英米仏伊は日本を目ざしてどう動く?』、『帝国海軍の現勢と将来』、'37『近代国防に就て』『最近の海洋政策 : 夏季講座講演』『支那事変と我が海軍』を著す。
 '37.12.1大佐に昇進し、横須賀人事部第3課長に着任。'39.11.15青島方面特別根拠地隊副長兼参謀に就任した。享年61歳。

<日本海軍士官総覧>


墓所

*墓石は和型「梅崎家之墓」。左側に墓誌があり戒名は建忠院法譽真順居士。


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