愛知県宝飯郡御津町出身。本名は茂七。道号は活翁。農家の5男として生まれる。12歳で郷里の曹洞宗東漸寺に入山し仏門に入った。
伯寿という名は仏門に入る際に僧侶につけられた名前であり、当時の僧侶は戸籍名を変更できたため伯寿の名は戸籍名となった。
東京帝国大学で高楠順次郎に学ぶ。卒業後、曹洞宗大学(駒沢大学)、慶応大学などの講師をへて、1913(T2)独国チュービンゲン大学に留学しガルベ教授に師事。
第一次世界大戦が始まり多くの留学生が帰国する中、英国に渡り、オックスフォード大学やケンブリッジ大学で勉学を続け帰国。'23東北帝国大学教授、'30(S5)より東京帝国大学教授となる。
同時期に12年間、宗門の命で曹洞宗東漸寺の第34代住職にもなっている。ただし、代理住職を置き自身は東京を離れなかったという。
その際の住職としての報酬は一切受け取らず、すべて寺の子弟の教育費に充当した。'31「印度哲学研究」で学士院賞。'41曹洞宗本庁より駒沢大学学長に任命される。'45学士院会員、'53文化勲章を受章。
サンスクリット・パーリ原典・漢訳仏典の豊富な知識を駆使して仏教思想とその背後にあるインド思想を研究、原始仏教の縁起説の論理学的解釈を唱え、インド論理学を究明するなど、多大の業績を残した。
また、インド哲学史や仏教史(インド・中国・日本)をはじめて体系化した。主な著書に、『印度哲学研究』全6巻(1924〜30)、『支那仏教史』(1936)、『禅宗史研究』(1939)、『仏教汎論』全2巻(1947〜48)、『宇井白寿著作選集』全8巻(1966)など。仏教学者(文学博士)。享年81歳。
中村元(9-1-17)は弟子である。子に農学者の宇井格生(同墓)、理論物理学者の宇井治生(同墓)、薬理学者の宇井理生がいる。