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うえはら まさき

初代 上原真佐喜

うえはら まさき

1869.10.3(明治2)〜 1933.7.10(昭和8)

明治・大正・昭和期の箏曲家(山田流)

埋葬場所: 22区 1種 73側

 本名は上原幸太郎。3歳で失明。9歳の頃に山田流千代田検校(けんぎょう)門下の浅井千束(ちづか)に入門。21歳の時に奥村真佐古(まさご)に師事。 1890(M23)「真佐喜」を名のり、翌年師の没後その後継者となる。1917(T6)真磨琴(ままごと)会を創立。 代表作に『春の朝』『里の四季』『磐城の誇り』『落花の誉』など多数作曲した。享年63歳。 娘の兎喜子は父と同じ道を歩み、2代目上原真佐喜を襲名し、人間国宝として活躍した。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大事典>


墓所 碑

*墓石正面に「初代上原眞佐喜奥津城」。享年は65歳と刻む。


山田流箏曲
 山田検校(1757-1817)によって創り出された音楽を示す。 即ちそれ以前の箏の音楽は三味線音楽の地歌(ぢうた)と合奏する楽器としての使命が主で、八橋検校(1614-1685)が確立した「箏組歌(ことくみうた)」という文学(和歌)と箏の結びつきや「段物(だんもの)」という純粋楽曲では主体であった立場を山田流箏曲においては全面に出し、しかも「弾き歌い」という演奏者が弾きながら歌う演奏法を用い、能楽の詞章を用いて、品格のある文章を「歌い分け」、演奏者が数人で弾き歌いしながら分担して歌ったり、斉唱したりする手法を用いて音楽の盛り上がり、つまり物語性を重要視する浄瑠璃性の高い音楽を目指したわけです。 驚くべき事は箏・歌・三味線それぞれの旋律を山田検校は全て一人称で作曲していることだ。 また現在の箏の形に改良した先駆者でもある。これらの音楽は今日、山田流箏曲の古典として演奏・研究が深められている。


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