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おやま けんさ

小山憲佐

おやま けんさ

1882.3.14(明治15)〜 1946.4.28(昭和21)

大正・昭和期の陸軍軍医(中将)、
軍医総監、医学博士

埋葬場所: 14区 1種 26側

 下野国(今の栃木県小山市)小山城主 下野守 小山政光(小山祖)の後裔。父方は僧侶で、母方が武家(小山)の家柄の長男として生まれる。
 第二高等学校を経て、1906(M39)東京帝国大学医学部卒業。'12東京帝国大学大学院卒業。卒業後、二等軍医となる。 '14〜'19(T3〜8)広島勤務。 '21欧州(オランダ・ドイツ)留学し、帰国後 東京第二陸軍病院院長となる。'23一等軍医正、台湾軍軍医部長。 '24第九師団軍医部長(金沢)、'27(S2)軍医学校教官、'29第四師団軍医部長の時に少将となった。 '30朝鮮軍軍医部長、'32軍医学校長(京城)、同年に軍医総監中将となる。'34予備役編入。
 キリスト教会にも深く関わっており、1906(M39)頃、東京帝国大学学生の時、海老名弾生(12-1-7-18)から本郷教会(弓町本郷教会)にて受洗する。'14(T5)広島教会に転入会、'19本郷教会に転入会、'23台湾台北教会に転入会、'24金沢教会に転入会。 金沢には東京の組合系教会がなかったため、福井教会の菱本牧師に暫く扮していただき、組合系教会の基礎となる。 その後大阪教会に転入会、'29(S4)京城教会に転会。'38以降、退職して本郷教会に落ちつく。 以上、転々と各教会を回り、客員扱いを希望せずに、それぞれの教会で役員を仰せつかり職を尽くした。
 医学博士。従三位 勲二等。'46召天。享年65歳。

<小山憲佐の息子の小山孝吉様とその甥の菰渕光彦様より情報・写真提供>


【軍医総監】
 軍医とは、軍隊に所属する医師をいい、陸軍軍医の最高官は陸軍軍医中将(陸軍軍医総監)である。 初代軍医総監は森林太郎(森鴎外)。小山憲佐にとっては帝国大学医学部の先輩にあたる。 小山憲佐の前任の軍医総監は藤田嗣章であり、画家の藤田嗣治の父である。


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