東京出身。大内兵衛・笹代(共に同墓)の次男として生まれる。父に影響を受け自身もマルクス経済学を専攻し、経済理論や経済政策の研究者の道を志す。
1942(S17)東京帝国大学経済学部経済学科卒業し、日本農業研究所研究員となる。戦後、'46母校の社会科学研究所嘱託を経て、翌年より東京大学社会科学研究所助教授に就任。'48『日本資本主義の農業問題』で毎日出版文化賞受賞。
'60教授となり、翌年、経済学博士。農政審議会委員になる。'68米価審議会委員、東京大学評議員、東京大学経済学部長を務める。この時期に起こった東大紛争では、加藤一郎を補佐する執行部のナンバー2として関わった。'72東京大学総長特別補佐(副総長)に就任。
宇野弘蔵理論の立場から日本の農業問題を研究。また近代経済学の成果を柔軟に取り入れ、『国家独占資本主義』(1970)では、宇野理論における現状分析として、管理通貨体制下における金融政策(インフレ政策)による賃金上昇抑制と、それによる恐慌への対処を現代国家の本質的機能であるとした。
'74平和経済計画会議運営委員、東京大学評議員を任ぜられ、'79停年退官し名誉教授。同年より信州大学教授に迎えられた。'82日本学士院会員。'84信州大学を退官し、名誉教授。同年、日本学術会議会員推薦管理会委員に補される。'87大学生協東京事業連理事長、大東文化大学教授に就任し、'88雇用審議会委員も務めた。'89(H1)全国大学生活協同組合連合会会長理事、学士会常務理事、生協総合研究所理事長となる。'90勲2等旭日重光章受章。2000(H12)生活協同組合・東京高齢協理事長。2002日本高齢者生活協同組合連合会会長理事。他に、農政審議会、米価審議会の各委員、雇用審議会会長も歴任した。
農業問題や農業経済の著書が多数あり、『大内力経済学大系』全8巻が出されている。日本の農業や労働経済の視点での共著も多く、また『マルクス・エンゲルス農業論集』などの翻訳もある。肺炎のため東京都新宿区の病院で逝去。享年90歳。