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おおうち あつよし

大内淳義

おおうち あつよし

1919.10.10(大正8)〜 1996.4.20(平成8)

昭和期の実業家(日本電気)、工学者

埋葬場所: 25区 1種 20側

 東京都出身。陸軍主計中将の大内球三郎・玉子(共に同墓)の子。
 1942(S17)東京帝国大学工学部電気工学科卒、電子工学専攻。'52日本電気に入社。 日本電気が昭和30年代初めに半導体、集積回路生産を開始したときからこれに携わり、集積回路設計本部長、 '68集積回路事業部長などを経て、'74取締役、'80副社長、'84副会長、'88の6月会長に就任。'90(H2)相談役に退く。 '63(S38)発明協会発明賞、'66(S41)機械振興協会賞、'74(S49)日本産業技術大賞、'84(S59)藍綬褒章、'89(H1)勲二等瑞宝章。 日本コントラクトブリッジ連盟シニアマスター、ワールド・ブリッジ・フェデレーション(WBF)ワールドライフマスター。工学博士。

<現代物故者事典1994-1996>
<MATSU様より情報提供>


*墓石は和型「大内家奥津城」。右側に墓誌があり、大内球三郎には「陸軍主計中将 正四位 勲一等」と刻む。大内淳義には「従四位 勲二等 工学博士」と刻む。


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