医家の大妻定馬の三男として高知県高岡郡戸波村に生れる。1891(M24)現役志願兵として工兵第五大隊(広島)に入営。1894〜1895まで日清戦争に従軍。1897(M30)8月試験検定により陸軍工兵監護(曹長)に任じ、1902現役満期、後備役に編入、善行証書を授与される。1904日露戦争のため充員召集され旅順攻囲軍に参加。翌年2月工兵少尉に任じ奉天包囲戦に参加。
'06退役し宮内省内匠寮に雇員として勤務し、翌年技手。'07(M40)6月熊田コタカ(同墓)と結婚。'21(T10)宮内技師(高等官六等)に任じ、ほどなく依願免官となり、大妻コタカの経営する大妻学校校主に専念。校主として、経営面では、事務の決裁、施設の企画、工事の設計監督、教育の面では、学則の改正、職員恩給制度の創設等寝食を忘れて精励。'23(T12)関東大震災で校舎が焼失した際に直ちに再建に着手し、翌年3月には千坪の木造校舎を竣工し、学校復興の先鞭をつけた。