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おおつか よしはる

大塚美春

おおつか よしはる

1905.2.23(明治38)〜 2001.6.8(平成13)

昭和・平成期の実業家

埋葬場所: 13区 1種 43側

 愛知県渥美郡大崎村(豊橋市大崎町)出身。1918.2(T7)13歳の時に上京し、大崎機械製作所に就職した。'23 関東大震災に遭遇。'29(S4)海軍の飛行機を製作していた中島知久平(9-1-2-3)の中島飛行機株式会社に入社。
 '38.4 東京品川に大塚製作所を創立。'39.4 武蔵野町関前に移転。'44 大塚航空工業株式会社に改組し、代表取締役社長に就任。戦後、大塚航空機工業を解散し、'46 郷里の愛知県豊橋市に武蔵産業株式会社を設立。'48.10 本田技研の本田幸一郎と業務提携し部品を納入。
 '63.9 社名を武蔵精密工業株式会社と改称。'63.5.12 アメリカのミシガン州バトルクリークに工場完成。'64 愛知県豊橋市植田町に新工場を建設し本社を移す。
 '77〜'88 豊橋商工会議所副会頭を務め、豊橋労働基準協会会長、豊橋鉄工会会長、豊橋善意銀行副会長などを歴任した。'85.11.6 勲5等瑞宝章受章。
 '87.12.10 タイのバンコクに工場完成。'90(H2)社長を退き、 代表取締役会長となる。'93 取締役名誉会長、'94 取締役最高顧問。享年96歳。

<豊橋百科事典>
<大塚美春墓誌碑より>


墓所 墓誌

*墓所は正面に3基建つ。右は「先祖代々各霊菩提」と刻む五輪塔、左面に「大塚家」、右面に「山岸家」。真ん中は和型「山岸家之墓」、裏面は「平成二十九年十二月吉日建之 施主 山岸英代 長男 裕幸」と刻み、五輪塔も裏面も同じ刻み。左はお地蔵様が建つ。墓所左側に「記」と題して大塚美春の略歴や大塚家に関してが刻む墓誌碑が建つ。大塚美春の戒名は徳大院賢巌法春居士。墓誌碑最後には「平成三十年一月吉日 恵日山長昌寺(曹洞宗)住職の下間眼 施主 山岸英代 長男 裕幸」、裏面に「設計 施工 (有)小泉石材店」と刻む。墓所右側には山岸家の墓誌が建つ。

*大塚美春の妻は は奈(1908.2.18-1994.6.1:同墓)。1930(S5)結婚。二女の英代(1937-)が山岸家に嫁いだ縁で、墓所が大塚家と山岸家の合葬となっている。なお、大塚美春の三男の幸児(1939.1.20-1943.4.12)は4歳で早死してしまい、それに伴い、'43.5.10 多磨霊園のこの地に墓所を建之した。


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